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O・ヘンリ賞受賞作品を読む




1993年(First Prize)
トム・ジョーンズ「拳闘士の休息」


1966年8月、俺たちはサンディエゴにある海兵隊の新兵補充部隊の基礎訓練キャンプにいた。ライト軍曹による厳しい訓練で、たくさんの新兵が1人また1人と脱落していく。しかし、その一方で訓練を受けるうちに、残る新兵たちは次第にタフになっていった。
その頃になると、俺たちの誰もが自分は海兵隊員の一員だと思いを強くしていたが、ひとり相棒のジョージソンだけは違った。
「お前、どうしてそんなに冷めてるんだ? どうかしてるぜ!」
俺がそう言った後、彼が返してきた言葉に俺は本気で頭にきて、2、3日彼と口も聞かなかった。
そんなことがあってから、しばらく経ったある日のこと。同じく新兵のひとりだったヘイ・ベイビィが訓練中に陰でジョージソンにチャチャを入れているのを見つけた。ヘイ・ベイビィは嫌なヤツで、俺は以前からいつかとっちめてやろうと思っていたが、その時の俺には明らかに殺意があった。ライフルの台尻の底の金属の角張った部分で、ヤツのこめかみに一撃を見舞わせた。ヘイ・ベイビィは道沿いの草むらの中に血まみれになって倒れた。“その事件”では、隊の全員が尋問されたが誰も口を割らなかった。自業自得だと思ったヤツも大勢いたのだろう。ヘイ・ベイビィはというと、その後意識が戻ったが、逆行性健忘症というやつでここ2週間に起こったことを何一つ覚えていなかった。

偵察隊のことは、ジョージソンが言い出した。新兵訓練所を出た後、彼とは音信不通状態だったが、偶然彼と再会した時に偵察部隊の試験を受けないかと誘われたのだ。昔は無関心だったジョージソンが今では熱心に“変わらぬ忠誠”を誓っている。
そうして、俺とジョージソンは偵察部隊の一員として、ヴェトナムに入った。
そして問題のあの日。それは定期的なパトロールで、ほんの“慣らし”のはずだったのだが…。

ヴェトナム戦争で数々の勲章を手にした男。自分の部屋に飾っているローマの有名な彫刻『拳闘士の休息』の写真を見ながら、彫刻のモデルと言われる古代ギリシャ最強の闘士テオジニスに思いを馳せる。岩に繋がれ、どちらか一方が死ぬまで続けられた古代ギリシャの拳闘。テオジニスは1425回岩に繋がれ、1425回勝ち残った。彼は何を思いながら人生の時間を過ごしていたのだろう。一方でヴェトナム戦争の英雄であるこの男の人生はどうなのか。この作品を読むうちに、アメリカとその後ろをくっついて歩く日本はどこに向かって歩こうとしているのか、今更ながら心配になってきた。
(岸本佐和子訳/新潮社『拳闘士の休息』所収)
                           (2006.12.22/B)

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