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春日野緑「開いた口」


青野大五郎は、1年中どんなことがあろうと、朝11時より前に起きたことがないと言えるほどの男だった。
しかし、その日はそうはいかない。というのも、その日は彼の引越の日だったのだ。
「あなた、もう起きなくちゃだめよ、運送屋さんが階下へ来て待っているじゃないの」
妻のお蔦が彼に話しかける。
彼はしょうがなく起きてきた。そして「さあ俺も手伝はうかナ」と言うものの、できるのは監督ぐらい。
しかし、運送屋は彼の監督を無視して、せっせと車に家財道具を積み上げていく。
そうこうするうちに、妻が新しい家に向かうことになり、大五郎がひとり残ることになった。……

ところで、青野家は決して裕福ではなかったが、家族道具のなかで唯一異彩を放っているものがあった。
それはピアノ。月賦で買った代物だったが、ピアノは周囲の人間に大きな威力を発揮したのだ。
家賃の支払いが遅れても、魚屋の支払いが滞っても、ピアノがあるような家なら大丈夫だと思われるのか、相手にネチネチと催促されることがなかった。
そんな重宝モノのピアノだったが、これを運ぶ際には往生してしまった。
運送屋は年老いた親父と、小柄な爺さんの2人のみ。大五郎を加えても到底運べやしない。
思案するうちに、2人の若い屑屋がやってきて、手を貸してくれた。有難いと思ったが、その後が問題。
2人は手伝った代わりに、何か要らないものを譲ってほしいと言ってきたのだ。
「この紫檀の机を分けて下さいナ」
「そこにある小さなチャブ台と、あの台所の棚…」
譲るものなんて、何もない。かといって、手伝ってもらっておいて、“ハイ、さようなら”とはいかない。
面倒くさくなった大五郎は、「ああ、もって行き給え」と言って、二束三文の値段で売り払ってしまった。

新宅に着いて、その話を妻にすると、
「知りませんわ。あれは東京の母さんから貰ってきたものじゃありませんか」
と彼女はおカンムリ。
「早く行ってとり返していらっしゃい」
ほうほうの態で、例の屑屋を探すことになった大五郎だったが…。

なかなか見つからない屑屋。そして、さんざん探した結果、屑屋が見つかったのは良かったが…。
最後の最後のドンデン返し。いやはや、妻には叶わない。
(探偵趣味の会編/春陽堂『創作探偵小説選集・第二輯』所収)
                      (2006.9.22/B)

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