最終更新日 2016年4月23日

明治文学を読む

●明治文学について
今日、巷にあふれている本。鞄の中にはいつも本を入れているという人も多いだろう。本は私たちの日常生活において、それほど身近な存在になっているが、その昔、本を一般市民にも普及すべく、必死になって文芸運動を繰り広げたのが、明治期の文芸作家たちだった。
明治時代のほとんどの作品が旧かなづかいで書かれているため、文字離れが進んでいる私たちにとっては、読むのがどうしても億劫になりがちだが、読んでみると今日の作品にはない面白さがある。
ここでは「明治期の作品=教科書に載っている作品」というイメージを払拭し、肩の力を抜いて、現代の小説と同様の単なる日本文学作品のひとつというスタンスで紹介していきたい。


【明治文学作品】
※緑色で記した作品は順次レビューアップ予定。
黒色で記したものはその年に発表されたその他の作品、著名な作品。

明治元年(1868年)
「立憲政体略」(加藤弘之)  「窮理図解」(福沢諭吉)

明治2年(1869年)
 「世界国尽」(福沢諭吉)

明治3年(1870年)
 「西洋道中膝栗毛」(仮名垣魯文)

明治4年(1871年)
 「安愚楽鍋」(仮名垣魯文)  「西国立志編」(中村正直訳)

明治5年(1872年)
「胡瓜遣」(仮名垣魯文)  「学問ノススメ」(福沢諭吉)

明治7年(1874年)
 「柳橋新誌」(成島柳北)  「百一新論」(西周)
「東京新繁盛記」(服部撫松)

明治8年(1875年)
 「文明論之概略」(福沢諭吉)  「怪化百物語」(高畠藍泉=転々堂)

明治12年(1879年)
 「民権田舎歌」(植木枝盛)  「高橋阿伝夜刃譚」(仮名垣魯文)

明治13年(1880年)
 「情海波瀾」(戸田欽堂)

明治14年(1881年)
 「嶋鵆月白波」(河竹黙阿弥)  「怪化狂詩撰」(島田主善=夢春)
「恋仇花盛街夕暮」(番亭楽山)  「忘貝」(村山松根)  「怪化娘出世指南」(池田喜多治=箆棒痴人)

明治15年(1882年)
 「地獄極楽一周記 : 文明開化」(大久保夢遊)  「ハムレット」(矢田部良吉訳)

明治16年(1883年)
 「経国美談」(矢野龍渓)  「修羅の衢」(坂崎紫瀾)
「閻魔大王判決録 : 新奇妙談」(高瀬紫峰)  「小夜千鳥浪の音信」(三品藺渓=柳条亭華彦)

明治17年(1884年)
 「怪談牡丹燈籠」(三遊亭円朝)

明治18年(1885年)
「当世書生気質」「小説神髄」(坪内逍遙)
「塩原多助一代記」(三遊亭円朝)  「佳人之奇遇」(東海散士)

明治19年(1886年)
 「雪中梅」(末広鉄腸)  「島田一郎梅雨日記」(岡本起泉=勘造)
「内地雑居未来の夢」(坪内逍遥=春のや主人)  「当世商人気質」(饗庭篁村)

明治20年(1887年)
「武蔵野」(山田美妙)  「花間鶯」(末広鉄腸)
「浮雲」(二葉亭四迷)  「三酔人経綸問答」(中江兆民)
「蜃中楼」(広津柳浪)

明治21年(1888年)
 「あひびき」「めぐりあひ」(二葉亭四迷訳)  「夏木立」(山田美妙)

明治22年(1889年)
「細君」(坪内逍遙) 「胡蝶」(山田美妙)  「二人比丘尼色懺悔」(尾崎紅葉)
「露団々」「風流仏」(幸田露伴)  「楚囚之詩」(北村透谷)  「於母影」(森鴎外等訳)
「残菊」(広津柳浪)  「恋」(奥村柾兮=大東楼愚人)

明治23年(1890年)
「伽羅枕」(尾崎紅葉)  「舞姫」「うたかたの記」(森鴎外)
「対髑髏」「一口剣」(幸田露伴)  「帰省」(宮崎湖処子)
「浮城物語」(矢野龍渓)  「自惚娘」(槇野半酔)  「二人花婿」(堀成之=烟亭紫山人)

明治24年(1891年)
 「五重塔」「風流艶魔伝」(幸田露伴)  「二人女房」(尾崎紅葉)
「こがね丸」(厳谷小波)  「文づかひ」(森鴎外)  「真善美日本人」(三宅雪嶺)
「油地獄」「かくれんぼ」(斎藤緑雨)  「いさなとり」(幸田露伴)

明治25年(1892年)
 「即興詩人」(森鴎外訳)  「三人妻」(尾崎紅葉)  「幕府衰亡論」(福地源一郎=福地桜痴)
「没理想の語義を弁ず」(坪内逍遙)  「我牢獄」(北村透谷)  「うもれ木」(樋口一葉)

明治26年(1893年)
「人生に相渉るとは何の謂いぞ」 「内部生命論」(北村透谷)
「隣の女」(尾崎紅葉)  「芭蕉雑談」(正岡子規)

明治27年(1894年)
「滝口入道」(高山樗牛)  「桐一葉」(坪内逍遙)
「女房殺し」(江見水蔭)  「文学者となる法」(内田魯庵)  「大つごもり」(樋口一葉)
「亡国の音」(与謝野鉄幹)  「日本風景論」(志賀重昴)

明治28年(1895年)
「書記官」(川上眉山)  「夜行巡査」「外科室」(泉鏡花)
「黒蜥蜴」
「変目伝」(広津柳浪) 「青葡萄」(尾崎紅葉)
「たけくらべ」「十三夜」「にごりえ」(樋口一葉)

明治29年(1896年)
「今戸心中」「河内屋」(広津柳浪)  「多情多恨」(尾崎紅葉)
「三人冗語」(森鴎外・幸田露伴・斎藤緑雨)  「東西南北」(与謝野鉄幹)
「照葉狂言」(泉鏡花)  「われから」(樋口一葉)

明治30年(1897年)
「源おぢ」(国木田独歩)  「金色夜叉」(尾崎紅葉)  「海の秘密」(江見水蔭)
「そめちがへ」(森鴎外)  「うき草」(二葉亭四迷訳)

明治31年(1898年)
「忘れえぬ人々」「武蔵野」(国木田独歩)  「二日物語」(幸田露伴)
「くれの廿八日」(内田魯庵)  「不如帰」(徳富蘆花)

明治32年(1899年)
「天地有情」(土井晩翠)  「薄衣」(永井荷風)
「一国の首都」(幸田露伴)  「湯島詣」(泉鏡花)

明治33年(1900年)
「高野聖」(泉鏡花)  「はつ姿」(小杉天外)
「思出の記」(徳富蘆花)  「雲のゆくへ」(徳田秋声)  「郊外」(国木田独歩)
「鎗一筋」(村井弦斎)

明治34年(1901年)
「破垣」(内田魯庵)  「牛肉と馬鈴薯」(国木田独歩)
「註文帳」(泉鏡花)  「みだれ髪」(与謝野晶子)

明治35年(1902年)
「地獄の花」(永井荷風) 「重右衛門の最後」(田山花袋)
「病牀六尺」(正岡子規)  「旧主人」(島崎藤村)  「黒潮」(徳富蘆花)
「紺暖簾」(山岸荷葉)  「侠足袋」(塚原渋柿園)  「酒中日記」(国木田独歩)

明治36年(1903年)
「魔風恋風」(小杉天外)  「天うつ浪」(幸田露伴)
「夢の女」(永井荷風)  「乳姉妹」(菊池幽芳)

明治37年(1904年)
「火の柱」「良人の自白」(木下尚江)  「君死に給ふことなかれ」(与謝野晶子)

明治38年(1905年)
「吾輩は猫である」「幻影の盾」「倫敦塔」(夏目漱石) 「海潮音」(上田敏訳)
「青春」(小栗風葉)  「あこがれ」(石川啄木)  「人の心」(楓村居士=町田柳塘)

明治39年(1906年)
「孔雀船」(伊良子清白)  「坊つちゃん」「草枕」(夏目漱石) 
「野菊の墓」(伊藤左千夫)  「破戒」(島崎藤村)  「炭燒のむすめ」(長塚節)
「其面影」(二葉亭四迷)

明治40年(1907年)
「蒲団」「少女病」(田山花袋) 「虞美人草」(夏目漱石)
「南小泉村」(真山青果)  「平凡」(二葉亭四迷)  「全力の人」(堀内新泉)
「婦系図」(泉鏡花)  「虞美人草」(夏目漱石)

明治41年(1908年)
「夢十夜」「三四郎」(夏目漱石) 「何処へ」(正宗白鳥)  「生」(田山花袋)
「長者星」(小杉天外)  「竹の木戸」(国木田独歩)  「春」(島崎藤村)
「新世帯」(徳田秋声)

明治42年(1909年)
「耽溺」(岩野泡鳴)
「煤煙」(森田草平)  「北米の花」(田村松魚)
「ヰタ・セクスアリス」「半日」「金貨」(森鴎外)

「女ざむらひ」(渡辺黙禅)  「ふらんす物語」(永井荷風)
「それから」(夏目漱石)

明治43年(1910年)
「刺青」(谷崎潤一郎)  「網走まで」(志賀直哉)  「青年」(森鴎外)
「松山一家」(郡虎彦) 
「麒麟」(谷崎潤一郎)
「歌行燈」(泉鏡花) 「門」(夏目漱石) 「別れた妻に送る手紙」(近松秋江)

明治44年(1911年)
「泥人形」(正宗白鳥)  「芸者」(田村西男)  「少年」(谷崎潤一郎)
「黴」(徳田秋声)  「雁」(森鴎外)
  「スヰートホーム」(内藤千代子)
「嘘つく女」(深尾葭汀)  「濁った頭」(志賀直哉) 「樹蔭」(松本泰) 「千曲川のスケッチ」(島崎藤村)

明治45年(1912年)
「悲しき玩具」(石川啄木)  「彼岸過迄」(夏目漱石)
「かのやうに」(森鴎外)  「悪魔」(谷崎潤一郎)
「哀花熱花」(兒玉傅八<花外>) 「兄と妹」(守田有秋)


●作品レビュー

「浮雲」(二葉亭四迷/明治20年)
そもそも、結婚は種の繁栄のため、家の発展のためという大義があった。
本人同士の気持ち以上に、家族や周囲の人間たちの評価が影響力をもっていた。

明治に入って鎖国が終わり、世界と競争するために国家をあげての教育制度が導入される。
教育偏重主義によって、若者という存在が現れ注目されるようになる。
勉学に励み、未来を有望視される若者。
そんな周囲の期待と世間の評価とは裏腹に、若者たちには若者ならではの悩みが数多く生まれる。
知識と現実との差。恋愛もその一つだ。

明治に始まる近代小説は、結婚以前の恋愛過程を描き男女間の考え方の違いを克明に刻むようになる。

やがて、恋愛は大人がするもの、または権力者がするものという価値観を壊し、封建的な家制度を見直すことに繋がっていく。

内海文三は父親亡き後、東京に住む叔父の家に引き取られる。文三は叔父の庇護のもと、
勉学に励み卒業後役所での仕事を手に入れる。ところが、役所から解雇を言い渡されてしまうのだった。
力を持つ上司に懇願すれば復帰も夢ではないのに、文三は自尊心から毛嫌いしているその上司へ頭を下げることは
出来ないと考え、叔母や同僚の本田が上司に頭を下げろという言葉に耳を貸そうとしない。
やがて、叔母は仕事もしないで家にいる文三を煙たがるようになる。
ただ一人文三の味方になってくれるのは叔父夫婦の娘・お勢のみだった。
ところが、お勢との結婚を約束されていた文三だったが、その約束さえ怪しくなっていく。

お勢が本田と一緒に菊人形を見に行く時、文三は菊観を断り一人家で留守番をすることになる。
ところが、文三はお勢が本田と一緒にいることが気になってしょうがない。お勢たちが帰ってきたあと、叔母とお勢が
調子者だが愛想がよく話が面白い本田に一目置くようになる。
特に叔母が本田を評価したのは、本田が文三とは違い上司とうまくやって役所での仕事も順調にいっていることだった。

本田が頻繁に家にやってくるようになると、文三は本田とお勢が楽しく会話している姿を見聞きして嫉妬するようになる。
文三が大人気なくお勢に八つ当たりするようになると、今まで大目に見ていたお勢さえも文三を見捨て頼りがいのある
本田に興味を示すようになるのだった。

お勢に対して見かけの美しさと、親の過保護によって授けられた教育による知識の多さだけに目が行っていた文三だったが、
実際のお勢という女性が自分と思っていた女性とは違っているということに気づいていく。
淡い恋心を捨てきれず、自尊心を抑えながら叔母やお勢の嫌味を言われても我慢していたが、文三は最後の決断を下す。
お勢に告白して本心を尋ね、もし自分のことを嫌いになってしまったのであったら家を出て行く決心をする。
                           (2006.9.8/A)

二葉亭四迷(1864-1909)

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『今戸心中』(広津柳浪/明治29年7月)
(レビュー未/以下は作品の冒頭)
        一
太空(そら)は一片(ぺん)の雲も宿(とど)めないが黒味渡ッて、二十四日の月はまだ上らず、霊あるがごとき星のきらめきは、仰げば身も冽(しま)るほどである。不夜城を誇り顔の電気燈にも、霜枯れ三月(みつき)の淋(さび)しさは免(のが)れず、大門(おおもん)から水道尻(すいどうじり)まで、茶屋の二階に甲走(かんばし)ッた声のさざめきも聞えぬ。
 明後日(あさッて)が初酉(はつとり)の十一月八日、今年はやや温暖(あたた)かく小袖(こそで)を三枚(みッつ)重襲(かさね)るほどにもないが、夜が深(ふ)けてはさすがに初冬の寒気(さむさ)が身に浸みる。
 少時前(いまのさき)報(う)ッたのは、角海老(かどえび)の大時計の十二時である。京町には素見客(ひやかし)の影も跡を絶ち、角町(すみちょう)には夜を警(いまし)めの鉄棒(かなぼう)の音も聞える。里の市が流して行く笛の音が長く尻を引いて、張店(はりみせ)にもやや雑談(はなし)の途断(とぎ)れる時分となッた。
 廊下には上草履(うわぞうり)の音がさびれ、台の物の遺骸(いがい)を今室(へや)の外へ出しているところもある。はるかの三階からは甲走ッた声で、喜助どん喜助どんと床番を呼んでいる。
「うるさいよ。あんまりしつこいじゃアないか。くさくさしッちまうよ」と、じれッたそうに廊下を急歩(いそい)で行くのは、当楼(ここ)の二枚目を張ッている吉里(よしざと)という娼妓(おいらん)である。
「そんなことを言ッてなさッちゃア困りますよ。ちょいとおいでなすッて下さい。花魁(おいらん)、困りますよ」と、吉里の後から追い縋(すが)ッたのはお熊(くま)という新造(しんぞう)。
 吉里は二十二三にもなろうか、今が稼(かせ)ぎ盛りの年輩(としごろ)である。美人質(びじんだち)ではないが男好きのする丸顔で、しかもどこかに剣が見える。睨(にら)まれると凄(すご)いような、にッこりされると戦(ふる)いつきたいような、清(すず)しい可愛らしい重縁眼(ふたかわめ)が少し催涙(うるん)で、一の字眉(まゆ)を癪(しゃく)だというあんばいに釣(つ)り上げている。纈(くく)り腮(あご)をわざと突き出したほど上を仰(む)き、左の牙歯(いときりば)が上唇(うわくちびる)を噛(か)んでいるので、高い美しい鼻は高慢らしくも見える。懐手(ふところで)をして肩を揺すッて、昨日(きのう)あたりの島田髷(まげ)をがくりがくりとうなずかせ、今月(この)一日(にち)に更衣(うつりかえ)をしたばかりの裲襠(しかけ)の裾(すそ)に廊下を拭(ぬぐ)わせ、大跨(おおまた)にしかも急いで上草履を引き摺(ず)ッている。


※この作品は「青空文庫」にて読むことができます。→
「今戸心中」(広津柳浪)

広津柳浪(1861-1928)

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「金色夜叉」(尾崎紅葉/明治30年)
両親が亡くなった後、父親が世話した縁で鴫沢家に居候する間寛一は娘の宮と結婚を約束されていた。
ところが、宮に富山銀行の跡取りとの見合いの話が舞い込んでくる。
宮の両親は自分たちの将来を考えて、宮と富山銀行の息子との見合いを承諾するのだった。
両親は間寛一に対して、宮が銀行家一族の中に入ることで皆が幸せになるのだからと宮との結婚を諦めさせ、
宮の結婚後にはお前にも留学をさせてあげるという約束をする。

宮以外を自分の妻として考えられない間寛一は学校を辞めて、鴫沢家を出て行くのだった。
裸一貫で飛び出た間寛一が身を寄せた先は高利貸しを営む鰐淵の家だった。
間寛一は宮とその両親たちに裏切られた腹いせと人間不信から、債務者に対して非人間的な取立てをするようになり、
やがて学生時代の友人に対しても同様の取立てをして非難されるようになる。

そんな生活を送っていたことから、ある日、間寛一は債務者と思われる数人の暴漢に襲われ大怪我を負うのだった。
さらに、何者かによって鰐淵邸が放火され鰐淵夫妻が死亡する。
体に障害を負いながらも、鰐淵の遺産を相続して高利貸しをしていたところ、
間寛一のことを想って結婚生活がうまくいっていなかった宮が神経症者のような面立ちで
間寛一のもとに現れるのだった。

過去に許されざる仕打ちをした相手に対して、完全に拒絶する間寛一だったが、
死をもってつぐなうからと許してくれと宮が小刀で自刃し血の大滴を垂らしている姿を見て
さすがの間寛一も許さざるをえなくなるのだった。

その後、宮は湖に向って歩いていき、間寛一もその後を追っていく。
間寛一が湖にたどり着くと、溺死体となった宮を発見するのだった。

その姿を見た間寛一は宮を背負い、入水自殺をして、そして死んだと思いきや
目覚めると、間寛一は夢を見ていたことを知る。

夢落ち。それはないでしょ尾崎さん。

と、思いきや続々編、新続編と話が続いていく。

朝日新聞の朝刊小説として大人気を博した『金色夜叉』。
後半部分は、会社の意向で連載を強引に続けたことが露骨に分かるストーリーは無理がありすぎる設定。

小説黎明期に出版された作品なので、小説ならではのディテールを凝るというよりは、
いかに一般大衆の気をひくような文を書くかということに特に重きを置いている感じがする。
まるで活劇を観ているかのような展開と、会話のやり取りが行われている。
                           (2006.9.8/A)

尾崎紅葉(1867-1903)

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『高野聖』(泉鏡花/明治33年2月)
(レビュー未/以下は作品の冒頭)
                 第一

「参謀本部編纂の地図を又繰開(くりひら)いて見るでもなからう、と思つたけれども、余りの道ぢやから、手を触るさへ暑くるしい、旅の法衣(ころも)の袖をかゝげて、表紙を附けた折本(をりほん)になつてるのを引張り出した。
 飛騨から信州へ越える深山(しんざん)の間道(かんだう)で、丁度(ちやうど)立休(たちやす)らはうといふ一本の樹立も無い、右も左も山ばかりぢや、手を伸ばすと達(とゞ)きさうな峯(みね)があると、其(そ)の峯へ峯が乗り巓(いたゞき)が被(かぶ)さつて、飛ぶ鳥も見えず、雲の形も見えぬ。
 道と空との間に唯(たゞ)一人我(わし)ばかり、凡(およ)そ正午と覚しい極熱(ごくねつ)の太陽の色も白いほどに冴え返つた光線を、深々と頂いた一重の檜笠(ひのきがさ)に凌(しの)いで、恁(か)う図面を見た。」
 旅僧(たびそう)は然(さ)ういつて、握拳(にぎりこぶし)を両方枕に乗せ、其(それ)で額を支へながら俯向(うつむ)いた。
 道連(みちづれ)になつた上人(しやうにん)は、名古屋から此(こ)の越前敦賀の旅籠屋(はたごや)に来て、今しがた枕に就いた時まで、私が知つてる限り余り仰向けになつたことのない、詰(つま)り傲然(がうぜん)として物を見ない質(たち)の人物である。
 一体東海道掛川(かけがは)の宿(しゆく)から同じ汽車に乗り組んだと覚えて居る、腰掛の隅に頭(かうべ)を垂れて、死灰(しくわい)の如く控へたから別段目にも留まらなかつた。
 尾張(をはり)の停車場(ステーシヨン)で他(た)の乗組員は言合(いひあ)はせたやうに、不残(のこらず)下りたので、函(はこ)の中には唯(たゞ)上人(しやうにん)と私と二人になつた。
 此(こ)の汽車は新橋を昨夜九時半に発(た)つて、今夕(こんせき)敦賀に入らうといふ、名古屋では正午(ひる)だつたから、飯に一折(ひとをり)の鮨(すし)を買つた。旅僧(たびそう)も私と同(おなじ)く其(そ)の鮨を求めたのであるが、蓋を開けると、ばら/\と海苔(のり)が懸(かゝ)つた、五目飯(ちらし)の下等(かとう)なので。
(やあ、人参(にんじん)と干瓢(かんぺう)ばかりだ、)と踈匆(そゝ)ツかしく絶叫した、私の顔を見て旅僧(たびそう)は耐(こら)へ兼ねたものと見える、吃々(くつ/\)と笑ひ出した、固(もと)より二人ばかりなり、知己(ちかづき)にはそれから成つたのだが、聞けば之(これ)から越前(ゑちぜん)へ行つて、派は違ふが永平寺(えいへいじ)に訪ねるものがある、但(たゞ)し敦賀(つるが)に一泊とのこと。
 若狭(わかさ)へ帰省する私もおなじ処(ところ)で泊(とま)らねばならないのであるから、其処(そこ)で同行の約束が出来た。


※この作品は「青空文庫」にて読むことができます。→
「高野聖」(泉鏡花)

泉鏡花(1873-1939)

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「金貨」(森鴎外/明治42年)
左官屋の八はぼろ着を纏い、千駄ヶ谷の停車場の改札の前で何をするともなく突っ立っていた。
改札から三人連の軍人が出てくる。一番先頭を歩く軍人は襟章からして大佐か中佐と思われた。
八は無意識に三人連の後をつけるようにして歩いていくのだった。
三人連は冠木門の邸宅に入っていく。
先頭を歩く一番偉そうな人物がこの邸宅の主人だった。
八は庭の竹林に忍び込んで様子を伺っていると、三人連はビールを飲みながら碁を始める。
雨が降ってきて八の着ている半纏はかなり濡れていたが、八は意に介さなかった。
しばらくすると、八は尿意を催したので仕方なく椿の木の下に隠れてひっそりするのだった。

三人連はとうとうビールを飲み干し、次には主人がコニャックを取り出してお湯割にして飲みだす。
やがて、碁の勝負も終わり寝静まる。
寝入ったのを見計らって、八は三人連れが碁をしていた部屋に忍び込む。
八はあまりにも咽喉が渇いていたため、ビールの瓶を傾けるが中には一滴も残っていない。
ところが、コニャックはまだかなり残っていた。
八はコニャックを割らないでぐっと飲む。
アルコール度が高く咽喉がやけるような気がしたがその味わいに幻惑し、
八はコニャックの瓶を何度も傾ける。
そして、いつしか八は夢の中に入り込んでいくのだった。
                           (2006.8.12/A)

森鴎外(1862-1922)

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「青年」(森鴎外/明治43年)
小説家を目指して上京した文学青年の小泉純一は、文士を尋ねて文学との関わり方を探るなか、
裕福で恵まれた家庭に育った自分には行動力や小説の題材となる経験がないと意識するようになる。

有楽座にイプセンの演劇を観に行き、そこで坂井未亡人と知り合う。未亡人は夫と同郷の小泉に対して親近感を示し
また夫が学者だったこともあり家には沢山の書物を所蔵しているので、小泉に書物を貸そうと申し出る。

小泉は坂井未亡人宅を訪問しラシーヌの本を借りた時、夫人から箱根へ行くので遊びに来ないかと誘われるのだった。

小泉は色々な集まりに参加するが、自分と他人との距離感に寂しさを募らせ、坂井未亡人が滞在している箱根に向うことを決心する。

ところが、箱根に到着すると宿は見つからないので仕方なく警察官に紹介してもらった宿は不潔で寝そべると服が
汚れてしまうような所だったりと、ついてないなと思っていたところ、小泉は坂井未亡人が頑強な体格の男と二人で
歩いている所に遭遇する。
坂井未亡人は気兼ねする小泉に対して躊躇することなく声をかけた。
坂井未亡人と一緒にいる40代らしき男は小泉も名前を知っている有名な画家であった。

小泉は嫉妬に駆られながらも、男と未亡人の関係を疑りながらも僅かな淡い望みを抱いて坂井未亡人の泊まる宿を伺う。
しかし、小泉がそこで知ったのは本人の願望とは裏腹に、二人の親密な関係をまざまざと見せ付けられるばかりだった。
結局、小泉は箱根を去っていく。

主人公の独白というスタイルで書かれていて、主人公の行動原理はいかにも文学青年が思いつきそうな
小説を書くことに直接関係するようなものーいわゆる西洋哲学だったり欧州文学などの話題を見たり聞くことのみ。
恋愛や友情に到るかもしれない人間関係には極力深入りしないように心がけている。
とにかく主人公は他人と一定の距離を保ちあくまで観察者としての立場を貫くのだ。
その結果、この小説で描かれている登場人物や場所、会話などこの小説に描かれている全ての事象と
主人公の意識との間に大きな距離感が生じてしまっている 。
ただ同じようなやりとりが永遠と繰り返されていて気がしてならない。
                           (2006.8.28/A)

森鴎外(1862-1922)

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「濁った頭」(志賀直哉/明治44年)
“(自分はいつも余り物を云わない津田君の今晩の調子に驚かされた。そして二年間も癲狂院で絶えず襲われていたと云うこの人の恐ろしい夢を……然し津田君は単刀直入に聞いてくれと云って語り出した。)”
物語はそんな一節から始まる。いわば津田という男の半生の告白だ。
小説家になろうと思っていた少年時代。そして17歳からキリスト教徒として生きた7年間。
母方の親類で遊びかたがた彼の家に手伝いにやってきていた、彼より4つ年上でお夏という名の女性との恋…。
彼は青春時代をどう生き、何が彼を癲狂院に向かわせたのか。絶え間なく葛藤を繰り返す彼の苦悩の日々が描かれる。
志賀直哉の作品では、父への反抗心がテーマとなることがしばしばあるが、この作品でもその一面が垣間見られる。
この作品を読んでいると、何故かふと夢野久作の作品を連想してしまった。
                           (2006.5.6/菅井ジエラ)

※本誌内企画“志賀直哉を読む”より再掲。

志賀直哉(1883-1971)
詳細は本誌内企画
“志賀直哉を読む”ページをご覧ください。

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「樹蔭」(松本泰/明治44年)
(レビュー未)

『天鵞絨』(籾山書店/大正2年)所収
「築地の家」「樹蔭」「U君の話」「W倶楽部」「ウヰンタア」「温室より」「玩具(おもちや)」「けいちやん会議」「P君の批評」「一週間の夢」「墓まゐり」「暗き家」

松本泰(1887-1939)

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「哀花熱花」(兒玉傅八/明治45年5月)
(レビュー未)

『哀花熱花』(春陽堂・現代文芸叢書:第11編/明治45年5月)所収
「芸人の悲哀」「泥船」「久世山の夏草」「二階の下」「絶望」「東京の女と柳」「美人像」「鳶」「苗売」「夏の隅田川」「網納屋」「舟中の少年」「顔」「橋」「汚れ身」「情熱」「風濤の別れ」「闇黒」「幻影」「秋風語」「鶏」「蝉の音楽」「女優」「煙草入」「南国の女」「鰯雲」「女乞食」「図書館の日」「卓の前」「犬」「鷺」「雷鳴の夜」「鎌倉の半日」「病院前」「九十九湾の一夜」

児玉(兒玉)花外(傅八)(1874-1943)

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「彼岸過迄」(夏目漱石/明治45年)
大学を卒業した後に職につかずフラフラとしている敬太郎は、同じ宿に下宿する森本という男と酒を飲み交わす。
森本という男は酒を飲んで酔ってくると、年上なことをいいことに兄貴然と自分の武勇伝などを絡めて
人生論を垂れるのだった。森本は偉そうな事を言っておきながら、仕舞いには自分には学歴がないからと不貞腐れるような男だったので
尊敬には値しなかったが、人生経験の乏しい敬太郎は自分の経験のなさを実感することになる。
ところが、数日後に森本は突然夜逃げするような形で下宿先からいなくなってしまう。大家は森本が半月近く家賃を
払っていなかったので相当頭にきている。それから、しばらくして敬太郎のもとに森本からの手紙が届くのだった。
森本はどうやら大陸に渡ったらしく、上海で仕事にありついたと書き記してある。そして、玄関脇に置いたままになっている
洋杖を敬太郎に譲るということが記されていた。森本がいなくなった後、下宿先の玄関脇に置きざりにされていた。
洋杖の先には蛇の彫刻が彫られている。森本自らが彫ったものだったが悪くはない仕立てであった。

敬太郎は友人の家柄の良い須永に仕事を斡旋してもらいにいくと、叔父の田口という男を紹介される。
田口に会いに行く前に、敬太郎は文銭占いをするお婆さんに占ってもらうのだが、
その占い師のおばあさんは敬太郎の未来をこう予言する。

「貴方は自分のような又は他人のような、長いような又は短い様な、出るような又は入るようなものを持って
いらっしゃるから、今度事件が起こったらそれを忘れないようにしなさい。そうすればうまく行きます。」

敬太郎はこの怪しい占いを信じてみることに決め、占い師の言う長いようで短いようなものとは
森本が置いていった洋杖のことだと一人合点し、どこへ行くにも必ず洋杖を持ち歩くのだった。
敬太郎は須永の叔父の田口に、また別の叔父の松本を探偵することを命じられたりするなど
須永の親類と親交を深めていき、やがて友人須永の信じがたい過去を知ることになる。
それは、森本の酩酊しながらの自慢話とは違い、人生の真実に触れるような告白だった。
                           (2006.8.28/A)

夏目漱石(1867-1916)

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