ノーベル賞を読む

 

 

 


ダイナマイトの発明で有名なアルフレッド・ノーベルの遺言によって、「理想主義的傾向のある最も注目すべき文学作品を著した作家」に与えられる賞で、1901年のシュリ・プリュドム以来、毎年世界の著名な作家たちが受賞している。
このコーナーでは、ノーベル賞を受賞した作家たちの代表作品を読んでいく。

 

 

1904年 ホセ.・エチェガライ (スペイン)

ホセ.・エチェガライは1832年にスペインに生まれ、48才の時ノーベル文学賞を受賞。1916年死去。

『恐ろしきな煤』

若い作家は、エルネストはドン・フリアンとその妻テオドーラに息子同然に養われている。ある日、ドン・フリアンとテオドーラは町中にテオドーラとエルネストが愛人関係だという醜聞が広まっているという情報をフリアンの弟の嫁。メルセデスから聞かされる。ドン・フリアンは全くの嘘偽りだと意に介さず取り合わなかったが、弟ドン・セベーロとメルセデスがテオドーラとエルネストの関係をしつこく疑うような発言を繰り返すことによって、ドン・フリアンは段々平常心をなくしていく。しかし、理性の強いドン・フリアンはテオドーラとエルネストを信頼していたので、噂を広めた子爵に決闘を申しこむことを決心し、子爵との決闘の結果ドン・フリアンは大怪我を負ってしまうのだった。その時、テオドーラは自分を養ってくれている二人に対する恩義から同じく子爵に決闘を挑もうとしているエルネストの家にいき、断念するよう説得をしていた。そこに、大怪我を負ったドン・フリアンがやってくる。二人の姿をみたドン・フリアンは完全に勘違いし、三人の関係は悪化の途をたどっていくのだった。

1909年 セルマ・ラーゲルレーフ (スウェーデン)

ノーベル文学賞を初めて受賞した女性、セルマ・ラーゲルレーフは「ニルスの不思議な旅」「沼の家の娘」などを残し、1940年83歳でなくなる。

『幻の馬車』

大晦日の夜、若いエーディットという救世軍の女性が危篤におちいっているところから物語は始まる。

シスター・エーディットは救世軍の仲間に見守れながら自宅のベッドに寝ているが、一つだけがお願いがあるという。

ダビッド・ホルムという男を連れてきてくれないかということだった。

仲間たちは、ダビッド・ホルムのような悪い男だけは合わせてはならない唯一人の人物だと考えていたが、最後の頼みということもあって

引き受けるのだった。

その頃、浮浪者のダビッド・ホルムは教会の芝生で喀血していた。みすぼらしい馬車をあやつる御者と遭遇するのだった。

御者はダビッド・ホルムを悪の道へ誘い込んだ、昔馴染みのゲオルグだった。ゲオルグは大鎌を担いで現れたのだった。

ゲオルグは自分は死者を迎える死の御者でダビッド・ホルムお前を迎えにきたのだという。

死の御者に連れられてダビッド・ホルムは死に瀕している馴染みの者たちの姿を確かめるのだった。

大晦日の最後に亡くなった者は翌年、ゲオルグと交代して死者を迎えに回り続ければならないという制約の中、

貧困から大勢の者が年を迎えることなくあの世に旅立っていくのだ。

1910年 パウル. ハイゼ  (ドイツ)

パウル・ハイゼは1830年ベルリンに生まれる。ドイツ初のノーベル作家。1914年84歳で死去。

『片意地娘』

アントニーノという若者が漕ぐ小舟に神父とラウレラが乗り込む。神父はラウレラが舟に乗る時、地元の若者がラウレラのことをララビアータ「片意地娘」と呼んでいたのは何故かと本人に問う。ラウレラは普通の女の子のように、自分が笑ったり踊ったりしないのでそう呼ばれていると言うのだった。「何故笑わないの」と神父のラウレラに対する質問は続く。

ラウレラは自分がこうなったのには亡くなった自分の父親にあるという。父親が母親を殴ってはその後、我に返って母を抱擁するという行為をずっと見ていたラウレラにとって、男は矛盾した野蛮な生き物で、男女の関係ほど汚らわしいものはないから自分はそういったものを遠ざけたいのだとラウレラは言うのだった。

アントニーノは神父とラウレラを目的地でおろすと、ラウレラだけを帰りの舟にも乗せることになる。

アントニーノとラウレラは昔からの知り合いで、アントニーノは密かにラウレラに恋をしていた。アントニーノはそんな相手と小さな舟の上で二人きりに不器用なやり方で気持ちを打ち明ける。しかし、ラウレラに全く理解されないことが分かると、アントニーノはラウレラの体をつかんで心中しようと一緒に海に飛び込もうとするのだった。

1925年 G・バーナード・ショー  (イギリス)  『人と超人』『ウォーレン夫人の職業』

1972年 ハインリヒ・ ベル   (ドイツ)  

ハインリヒ・ ベル は1917年ドイツのケルンに生まれる。高等学校を卒業後、書店の見習いとなり、6年間の従軍生活を送った後、1945年のドイツ敗戦を経験、瓦礫と化したケルンに復員する。1985年死去。

『エルザ・バスコライトの死』

トラック運転手となった私は、運搬物のブドウを配達するために子供の頃すんでいたアパートに入っていたバスコライト氏が営む雑貨屋にいく。かつての町は戦争による災禍で無残な状態になっていた。当時の自分と同じくらいの少年を見かけた私は、バスコライト氏がいつも自分たち子供たちにりんごやオレンジをたくさん分け与えてくれたこと、バスコライト氏の娘エルザ・バスコライトのことを思い出す。エルザ・バスコライトに対する思い出は、エルザが踊りが得意で、夜中緑色の奇抜な服装をして踊っていたことだった。周囲の大人たちは彼女に向かって「売女」「下衆女」と叫んでいた。子供だった私には「売女」の意味が分からなかったが、今まで見たことのない世界を知り、少しだけ大人の世界を垣間見たような気になったのだった。

バスコライト氏と再会した私は子供の頃の思いに浸り感傷的な気分になるが、バスコライト氏の「俺の娘は死んじまった」という何度も繰り返される独り言で目を覚ますのだった。

そして帰り際、私はトラックを物珍しそうに見ていた少年に両手いっぱいのりんごをあげるのだった。

1989年 カミロ・ホセ・セラ   (スペイン)

『パスクアル・ドゥアルテの家族』

スペインのノーベル作家カミロ・ホセ・セラの処女作の本作は1942年に発表された作品。同時期にはアルベール・カミュの「異邦人」などがあるという。この作品は、獄中の主人公パスクアル・ドゥアルテの手記がある人物によって開示されるというスタイルをとっている。

語られるのはタイトルの通り、主人公パスクアル・ドゥアルテ自身の家族についてである。

主人公のパスクアル・ドゥアルテはスペインの田舎町の貧しい家に生まれる。子供の頃の純真さはいつの間に社会によって捻じ曲げられていき殺人を犯すことになる。

ブルジョア的なものが一切描かれず、スペインの田舎町に住む常に困窮に瀕している庶民の泥臭い生活、そんななか若者たちは自由を求めるが、田舎町には所詮自由なんてなく、あるのはいつも自分と同じように貧しい生活を強いられている家族や知り合いたちの泥臭い顔ばかり。しかし、若い男にとっての唯一の自由は魅力的な若い女たちで、放埓な生活を送る者は村の若い女をとっかえひっかえ手玉にとってヒモのような生活を送るが、パスクアル・ドゥアルテは子供を作り平和な家庭を築きあげようというささやかな希望を抱いている。ところが、最初の妊娠ではパスクアル・ドゥアルテの妻が落馬により中絶し、次の妊娠で産まれた子供は生まれてからしばらくして病魔に冒されなくなってしまう。

パスクアル・ドゥアルテにとって残されていた希望も未来もないに等しい状況が訪れるのだった。パスクアル・ドゥアルテは、家族を捨てて首都マドリッドに逃亡するのだが、そこから彼の転落が始まる。

母殺しという神話的な題材を写実的に描いたこの作品は、主人公パスクアル・ドゥアルテが生まれたスペインの寒村をこの物語の悲劇性にとって欠くべからざる土地として位置づけ、その土地に住む人々の悲劇を生むべくして生む体質のようなものを感じさせてくれる。


2000年 高 行健(フランス) 『ある男の聖書』 『逃亡』 『霊山』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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