最終更新日 2016年5月2日

昭和初期文学を読む

●昭和初期文学について
戦争という暗く、重いものが人々の暮らしに根付いている時代。
ここでは昭和元年から第二次世界大戦が起こる昭和16年以前(=昭和15年まで)を昭和初期文学と位置づけ、この時代に発表された作品を紹介していく。


【昭和初期文学作品】
※緑色で記した作品は順次レビューアップ予定。
黒色で記したものはその年に発表されたその他の作品、著名な作品。

昭和元年(1926年)
「嵐」(島崎藤村)

昭和2年(1927年)
「何が彼女をそうさせたか」(藤森成吉)  「歯車」(芥川龍之介)
「施療室にて」(平林たい子)  「邦子」(志賀直哉)  「黒川家の強盗」(林房雄)

「春は馬車に乗って」(横光利一)  「ルウベンスの偽画」(堀辰雄)  「無力な恋人」(田中純)
「スカートをはいたネロ」(村山知義)  「めりけん・じゃっぷ商売往来」(谷譲次)

昭和3年(1928年)
「業苦」(嘉村磯多)  「分配」(島崎藤村)
「蓼食う虫」(谷崎潤一郎)  「兵士と女優」(オン・ワタナベ)

「冬の蠅」(梶井基次郎)  「仕立屋マリ子の半生」(十一谷義三郎)  「アパアトの女たちと僕と」(龍胆寺雄)

昭和4年(1929年)
「豊年虫」(志賀直哉)  「牛山ホテル」(岸田国士)
「蟹工船」(小林多喜二)  「浅草紅団」(川端康成)  「アップルパイの午後」(尾崎翠)


昭和5年(1930年)
「同志田口の感傷」(小林多喜二)  
「マネキンの誘惑」(岡田三郎)
「女百貨店」(吉行エイスケ)  「聖家族」(堀辰雄)  「感情細胞の断面」(伊藤整)

昭和6年(1931年)
「つゆのあとさき」(永井荷風)  「目羅博士の不思議な犯罪」(江戸川乱歩)
「第七官界彷徨」(尾崎翠)  「ゼーロン」「夜の奇蹟」(牧野信一)  「魔子」(龍膽寺雄)


昭和7年(1932年)
「彼女の哲学」(直木三十五)  「生物祭」(伊藤整)
「鮎」(丹羽文雄) 「芥川龍之介と志賀直哉」(井上良雄)
「薔薇盗人」(上林暁)  「氷を砕く」(延原謙)
  「酒盗人」(牧野信一)

昭和8年(1933年)
「暢気眼鏡」(尾崎一雄)  「春琴抄」(谷崎潤一郎)
「枯木のある風景」(宇野浩二)  「狂人は笑う」(夢野久作)

「若い人」(石坂洋次郎)  「五稜郭血書」(久保栄)

昭和9年(1934年)
「日曜日」(志賀直哉)  「癩」(島木健作)
「とむらい機関車」(大阪圭吉)
  「白夜」(村山知義)

昭和10年(1935年)
「故旧忘れ得べき」(高見順)  「道化の華」「玩具」(太宰治)
「村の家」(中野重治)

昭和11年(1936年)
「風立ちぬ」(堀辰雄)  「いのちの初夜」(北条民雄)  「楽天公子」(獅子文六)
「山桜」(石川淳)  「冬の宿」(阿部知二)
  「南さんの恋人」(豊島与志雄)

昭和12年(1937年)
「二十世紀旗手」(太宰治)  「幽鬼の街」(伊藤整)

昭和13年(1938年)
「天の夕顔」(中河与一)  「結婚前の愛人」(佐藤碧子)

昭和14年(1939年)
「如何なる星の下に」(高見順)  「富岳百景」(太宰治)

昭和15年(1940年)
「走れメロス」(太宰治)  「オリンポスの果実」(田中英光)


「マネキンの誘惑」(岡田三郎/昭和5年)
いつも口数の少ない健吉が夕食の席で熱弁をふるった。それは、彼の妹の真佐子の友達である小林美那子のことだった。その日の昼休みに、彼が銀座に行った際、広告をもつ洋装のマネキン・ガール(※)がいて、それが美那子だったというのだ。
美那子は、以前彼の家によく遊びに来ていて、彼は彼女を好いていた。会社勤めをするようになった今では、結婚問題が話題に上るが、その時、彼の頭の中には美那子がいた。
しかし、その話を母と真佐子にすると、2人とも健吉の嫁に迎えるのには反対した。
母の理由は「近代的な性格な持主はわが家に迎えられない」「美那子があまりにも美貌でありすぎる」ということだった。
そして、真佐子の理由は「友達としては迎えられるが、兄の嫁として迎えれば、終には苦痛になりそうだ」ということだった。
さらに悪いことに、母はマネキン・ガールという職業を軽蔑していた。
それから3年…。
新聞に近代的職業婦人の好見本として美那子が取り上げられ、彼女の仕事のことや家族のことが詳しく紹介されていた。
その記事を見た真佐子は…。
時代の先頭を走る人たちは、特に旧体制派の人たちに悪く見られる。しかし、それが魅力的な世界であればあるほど大きくなる、“あこがれ”という誘惑の波は誰にも止められない。
※マネキン・ガール…現在のファッション・モデルに近い働きをした尖端的な職業婦人のこと。
 (本作品所収の平凡社「モダン都市文学II モダンガールの誘惑」脚注より)
                           (2006.9.1/菅井ジエラ)
岡田三郎(1890-1954)
大正7年に「影」で文壇デビュー。日本ではそれまで位置づけられていなかったフランスのコントという文学ジャンルを、文芸界に紹介したという点で、彼の功績は大きい。

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「目羅博士の不思議な犯罪」(江戸川乱歩/昭和6年)
原稿の催促が厳しくて1週間ほど家を空けていた時、上野の動物園でその男と会った。
閉館時間が迫っていたので、園内は人気がない。
わたしはサルの前でぼんやり佇んでいたが、そこに男が突然現れたのだ。
「サルってやつは、どうして、相手のまねをしたがるのでしょうね」
その男は旅の途中に大ザルに自分のわきさしを取られ、命の危険にさらされながらも、ある機転によって危機を脱したある男の話を聞かせた。
「まねというものの恐ろしさが、おわかりですか。人間だって同じですよ。人間だって、まねをしないではいられぬ、悲しい恐ろしい宿命を持って生まれているのですよ。…」
わたしは、彼の話にぐいぐいと引き込まれてしまった。

動物園の閉館の時間が来て、そこを出た後、わたしたちはふたりで話をしながら歩いていた。
「ぼく知っているんです。あなた江戸川さんでしょう、探偵小説の」
そして、わたしの心中を見抜いていたのか、彼はこんなことを言い出した。
「あなたは、小説の筋を捜していらっしゃるのではありませんか。ぼく一つ、あなたにふさわしい筋を持っているのですが、ぼく自身の経験した事実談ですが、お話ししましょうか。…ここのベンチに腰かけて、妖術使いの月光をあびながら、巨大な鏡に映った不忍池をながめながら、お話ししましょう」

そこには五階建てのコンクリート丸出しのビルが2つ並んで立っている。その2つのビルは表側や側面の作りはまるで異なっているものの、相対している背面だけはどこからどこまで同じ作りになっていた。男はそこの玄関番を務めていたが、そのビルの5階に住む中年の香料ブローカーがある夜に自殺をしたのだ。
警察は彼が死んだ理由を特定することができなかったが、最終的には自殺として処理した。
その後まもなく、同じ部屋に次の借り手が付いたが、ある晩に香料ブローカーの時とまったく同じように自殺。
警察はいろいろ調べてみたものの結局分からずじまい。
巷で、その部屋に入ると、死にたくなってくるという噂が流れたが、今度は、そのビルの豪傑事務員が化け物屋敷を探検するような意気込みでその部屋を借りることになった。
しかし…。その男も、先のふたりと同じように首をくくって自殺してしまったのだった。

上野動物園で主人公が見知らぬ人と出会うという書き出しは、他の作家の作品でもしばしば見かける。
サルのまねの話は、まるで「おさるとぼうしうり」だ。
しかし、この怪談のような殺人譚の着想点はいかにも乱歩らしい。月光、都会の喧噪の中にある幽谷、模倣(まね)…。これらが織りなす妖しい世界。
ところで、まったく関係ないが、上野動物園がいつ開館したのか気になったので調べてみると、1882年(明治15年)とあった。意外と古い。
                           (2007.10.2/菅井ジエラ)
江戸川乱歩(1895-1965)

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「彼女の哲学」(直木三十五/昭和7年)
彼女はあるものに興味があった。それは占いや験担ぎといった類のものだ。
例えば、“四つ葉のクローバを、靴下の中へ入れておく”“新月を見たなら、人影の無い所で、祈るといい”など、その方面のことについては、とても明るかった。
だが、占いなど何も信じない彼女の夫にとっては、時には迷惑以外の何ものでもない。
彼女は新聞の占い欄が当たるか当たらないかによって、その価値を決めて、当たらない新聞は購読を断るという始末。さらに、縁日でつぼみがたくさん付いた薔薇を見つけると、「これらのつぼみが咲く間にきっと良いことがある。つぼみ一つあたり換算すると安い買物」だと買ってしまうほどだったから…。
…ところで、それは彼女が福寿草を買ってきた日のこと。
夫が福寿草を見ながら、「今日、社へ、素敵なタイピストが、入ったよ」と言うと、彼女はまたいつもの癖で、その新人タイピストと福寿草を結びつけて考えてしまう。
(この福寿草が、もし、枯れたり、咲かなかったりしたならきっと、この人が、タイピストと一緒になったのだ──妾、さうきめておく。さう決めておくわ)
そして、彼女は夫にこう言うのだ。「そのタイピストに貴下(あなた)が、何かしでもすると、この花に、ちゃんと、それが現れてくるの」
そう言われた夫はたまったものじゃない。
「信用が無いのかね、俺は」
“こいつに、これさへ無けりゃいいのに”と思う夫。
しかし、タイピストが入社してから、8日目のこと。彼の会社に取引先から歌舞伎の観劇招待券を30枚もらい、会社のみんなで行くことに。もちろん、その中にはタイピストの女性もいて…。
舞台を今に置き換えても十分に通用しそうなストーリー。時代物が多い著作の中で、古さを感じない好編。いつの時代も女性は占い好きだということか。
                           (2006.7.23/菅井ジエラ)
直木三十五(1891-1934)

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「生物祭」(伊藤整/昭和7年)
父が危篤だという電報で実家に帰ると、父はまた持ち直していた。夜中に発作を起こすこともあったが、弟がウグイスの爪を切ってやっている時などは弟と会話を楽しんでいて、死の数日前にあるとは信じられないほど落ち着いていた。外に出てみるとスモモの花が強い匂いを放ちながら咲き、遠くの林には落葉松の新しい芽が吹いている。北国の六月は春真っ盛りだ。
病院で医者に父の病状を聞くと、「あと一週間位で何か変化があれば難しい」という返事。今日の医学ではまだ根本的な療法がないという答えだった。病院の外では八重桜が咲き乱れている。むせかえるような花粉を撒き散らしながら、生殖を続けていた。
家に帰り、夜みんなが寝静まってから、私は散歩に出た。スモモの木の下でじっと立って想いをめぐらせる。
『父はどうしているか。眠って、死の前の不安な呼吸を喘いでいる。お前は誰だ。その父の子だ。今死のうととしている者の子が此処の花のなかで眼をつぶっている。…』私は夢魔に襲われた。「母や弟たちは疲れて眠っているだろう。だが父の眠りはすぐ破れてはまた続くのだ」
……医者が帰った後、母が私に言った。
「峰子に電報を打っておいで」
私は郵便局に行って、電報を書いた。
「チチキトクスグコイ」
生に向かうものと死に向かうもの。残されるわたしの心理を巧みに描きながら、両極にあるその2つを見事に対比させている。
                             (2003.10.3/菅井ジエラ)
伊藤整(1905-1969)
北海道出身。1926年に処女詩集『雪明りの路』を刊行。はじめは詩人としてデビューした。その後、1932年に小説集「生物祭」を刊行。以降、「幽鬼の街」「鳴海仙吉」「若い詩人の肖像」「氾濫」など数々の作品を発表した。また、小説の他、評論や翻訳の分野でも活躍。ロレンスの「チャタレイ夫人の恋人」の翻訳刊行の際は、猥褻文書とされ「チャタレイ裁判」の被告人になった。なお、1990年には彼の功績により伊藤整文学賞が創設されている。

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「狂人は笑う」(夢野久作/昭和8年)
「ホホホホホホホ……」
 だっておかしいじゃありませんか。という文句で始まる短編作品。

色々な事件に巻き込まれて気が狂ってしまった女の独白で綴られるお話。
女は自分がいかに奇妙な境遇の持ち主かを語り、最後にホホホホホと笑うしかないという。

夢野久作が当時どのように扱われていたのか、今現在どのように扱われているのか詳しく知らないし、
あえて知りたいとも思わない。むしろ、その人となりでは父親の杉山茂丸の方が興味深い。
しかし、この作品に限っては一発屋のB級お笑い芸人的な要素しか垣間見えない。
シチュエーションコメディというか、コント的な作品というか、
作者本人の思想や経験や趣向が反映されているというよりかは、
方法論だけで作品が構築され、最初にやったもの勝ち的なスタイルのような気がする。
                             (2006.7.22/A)
夢野久作(1889-1936)

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「結婚前の愛人」(佐藤碧子/昭和13年)
甲野時彦が夫人の卯女子(うめこ)と出会ったのは、横浜山手通りの海の見晴らせる公園だった。
白い服を着た年若い美しい令嬢が、彼の眼には“一幅の名画”のように映ったのだ。
彼はその後、同じ公園で何度か彼女を見かけたが、彼女と知り合いになるのに大変骨を折った。というのも、彼女は彼の姿が見えると静かに席を立つようになってしまったから…。
それがオデオン座に映画を観に行った時、偶然彼女と出会った頃から事態が一変した。その後、彼は友人を介して彼女に求婚。その時は彼女の両親に反対されたが、それから3年ほど経って再び求婚した時には、あっさり彼女の承諾も得られ、めでたく2人は結婚した。
時彦は、卯女子が自分と出会った当初は傷心中で、心を癒すために公園にたびたび来ていたということを友人から聞いていたので、卯女子の言うことなら何でも優しく聞いてあげようと心に決めていた。
結婚をして2、3年のうちは夢のような生活を送っていたが、それが10年近くになった頃から卯女子は時彦につらくあたるようになっていた。そして、「成べく私は貴君(あなた)の側に居たくない」というほど夫婦仲は冷めてしまっていたのだった。……。

冷えきった2人の仲が、あることをきっかけにして再び元に戻っていく。
卯女子が常に心のどこかで感じていた寂寥感。それを解くのは、こうしたほんのちょっとした愛情のかけらなのだろう。

この作品は、「新青年」の昭和13年臨時増刊号で特集された新人推薦傑作6作品の1つとして掲載されている。推薦人は菊池寛。菊池寛は作者についてこう記している。
“佐藤碧子は、私の小説に於けるたった一人の弟子と云ってもよい女性である。その明朗にして慈味のある描写は、その新味に於て、その味いに於て現代有数のものだと思っている。将来大衆文学が現在よりも、高級化する時、佐藤さんは第一線に立つ作家ではないかと思っている。”
                             (2006.8.31/菅井ジエラ)
佐藤碧子(1912- )
東京都出身。菊池寛の秘書を務めた。小磯なつ子の筆名で第23回(昭和25年上半期)直木賞候補にあがったこともある。

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