
最終更新日 2008年6月27日
|
●大正文学について 文学史を紐解くと、大正は15年という短い時代であったにも関わらず、文学の思潮としては大きなうねりが見られ、特筆すべき作品も多い。文芸誌ムセイオンでは、大正時代に発表された作品を年度別に紹介していきながら、大正文学作品が持つ独特な魅力に迫っていきたい。 | |
|
【大正文学作品】 | |
|
| |
|
●作品レビュー 『悪魔』(葛西善蔵/大正元年) 良吉は仲間たちと一緒に、ある儲からない雑誌をやっている。 毎月末になると、下町の印刷所の二階で校正作業をするのだが、 ここの“ヘンな”汚さが気に入って、毎月ここに来るのを心待ちにしているのだった。 …その日も良吉は印刷所の二階に来ていた。 二階の窓から下を見やると、いろいろな人間が往来を通るのが見える。 その光景を眺めていると、良吉の魂はだんだん鬱いでいき、つまらなくなってくる。 それは彼が“悪魔の舌”と呼んでいる一種の気持ちで、 こうした頽廃の発作は「悪夢のように、意地わるく、襲いつかまえ」、「ひとりでに、乾きを覚えてくる」のだった。 この作品は、以下のフレーズで始まる。 “みんなは生甲斐のありさうな顔をしてゐる。…良吉には、それがどうしても解らないのである。” 新潮文庫版『葛西善蔵集』巻末の山本健吉による解説によれば、この作品が書かれたのは、 葛西善蔵が「生活苦と文学精進の一筋心とから、妻子を実家に帰して、薄汚い下宿屋の一室に籠り、東北の雪の中で飲習った酒に憂ひを遣ってゐた」頃だという。 葛西善蔵、26歳。 今の時代に即して言えば、「キビシイ」の一言に尽きる。 (2007.10.6/菅井ジエラ) 葛西善蔵(1887-1928) 青森県弘前市出身。大正元年に処女作である「哀しき父」を発表。その後、数々の“私小説”を著している。代表作に「子をつれて」「椎の若葉」など。 | |
|
| |
|
『正義派』(志賀直哉/大正元年) ある日の夕方、21〜22歳の母親に連れられた5歳くらいの女の子が電車に轢かれ亡くなった。 事故現場にはすぐに人だかりができ、ほどなく交番から巡査がやってきた。 そこに鉄道会社の監督も現れ、問題の運転手に事情を聴いた。 「電気ブレーキを掛けたには掛けたんだな?」 「掛けました」 つまり、女の子が急に飛び込んできたので急ブレーキをかけたが、間に合わず轢いてしまった。“過失より災難”だというのだ。 その言葉に、近くで事故の一部始終を目撃していた線路工夫たちが立ち上がった。 “初めは電車と女の子の間には距離があったので、その時にすぐにブレーキをかけていれば、女の子は死ぬことはなかった”と。 鉄道会社のおかげで職にありつけているという微妙な立場も省みず、正義を貫こうとする線路工夫たち。 つい先日、100人以上の犠牲者を出した鉄道事故があったが、もし著者が今も存命で、このニュースを見たとしたら、どんなコメントを述べるだろうか? (2005.4.29/菅井ジエラ) ※本誌内企画“志賀直哉を読む”より再掲。 志賀直哉(1883-1971) 詳細は本誌内企画“志賀直哉を読む”ページをご覧ください。 | |
|
| |
|
『夢』(相馬秦三/大正元年9月) その老医師はガランとした部屋の中で物思いに耽っていた。そのうちに急に可笑しくなってきて、とうとう噴き出してしまった。 というのも、その2週間ばかり前に、三男の結婚式の披露宴会場で起きたことを思い出してしまったからだ。 披露宴の席上、自分の前に運ばれた一片の鳥肉を食べようと、馴れないナイフ・フォークで格闘しているうちに、手が滑り、隣にいた花嫁の皿の上にそれが飛んでいってしまったのだ。 老医師には男女4人ずつ、計8人の子どもがいたが、彼らを育てることにだけ自分の歳月と全精力を注いでいかなければならなかった。 老医師は、自分の老後をどのように過ごそうか考えていた。そして思った。 “自分の閑散な老後を庭いぢりでもして暮らさう” “これがまあ自分の手近な事の中で一番清らかな且つ静かな事である” 家の裏にある畑地をつぶし、植木屋を呼び、人足を呼び、石屋を呼び、庭を拡げた。 “松林を作りたい” 小松を植え、芝生を敷きつめ、畑をつぶし、小松を植え、畑をつぶし、小松を植え…。 そんなことをしているうちに、小松はずいぶんと立派に成長し、一人前の松林になっていった。 「まだ誰にも口外したことはないが、松林の一番気に入った所を選んで、そこへ自分の墓をたてよう。真っ白の大理石で墓をたて、その下に心静かに休みたい。永久に」 それから又八九年経った。…… ある日、老医師は夢をみる。その後、幾度も彼を悩まし続ける、ある夢を…。 『夢と六月』(新潮社・新進作家叢書09/大正6年)所収 「地獄」「鞭」「夢」「六月」「ギプスの床」「田舎医師の子」 (2007.10.20/菅井ジエラ) 相馬秦三(1885-1952) | |
|
| |
|
『范の犯罪』(志賀直哉/大正2年) 范という名の奇術師が、数メートル離れた妻に向かって、体の輪郭を描くようにナイフを投げるという芸を披露していた時、妻の首にナイフがささってしまい、彼女はその場で即死。范は果たして殺意を持っていたのか、それとも単なる事故だったのかという話。 裁判官の事情聴取という形で話は進められるが、登場人物の心情表現がすばらしく、一級の推理小説を読んだような読後感がある。初出『新青年』と言われても納得してしまいそうな内容だ。同時代の作家である谷崎潤一郎や佐藤春夫らは数多くの推理(犯罪)小説を書いており、特に谷崎は私も好んで読んでいるが、この志賀直哉の作品は、それらの作品群と比べても遜色ない。「小説の神様」が犯罪を題材にして書くと、こんな作品になるという典型のような感じがする。 (2005.4.29/菅井ジエラ) ※本誌内企画“志賀直哉を読む”より再掲。 志賀直哉(1883-1971) 詳細は本誌内企画“志賀直哉を読む”ページをご覧ください。 | |
|
| |
|
『こころ』(夏目漱石/大正3年) 明治天皇の死後、天皇の後を追って夫婦で自殺した乃木希典。 乃木は西南戦争時に連隊旗を奪われたことを30年もの長い間悔やんでの死だった。 その後を追うかのように「こころ」に登場する先生は過去の友人の死を悼み、自殺する。 乃木希典の殉死と先生の自殺は似ているが、漱石は全く正反対の意味合いで両者の自殺を扱っている。 乃木の自殺は、旧時代的な考えの死。 先生の死は、新たな価値感の誕生。 自殺する前に、先生は自分を慕う学生の若者に対して、延々と弱音・泣き言を吐き続ける。 それは、戦国時代から江戸を通じて日本全土を支配していた武士道精神から考えると 大の大人の男がすべき行為ではない。 夏目漱石が小説の中に見出した新しい発見は、この弱音や泣き言だと言えるのかもしれない。 情報時代に突入し、資本主義による競争原理の中で集団や家族は解体されていき、 市民一人ひとりが自らの意思だけを頼みに生きていかなければならなくなる。 親や兄弟でさえ自分を救ってくれない個人主義の時代に突入し、個人はますます孤独になっていく。 競争社会の中で勝ち負けが繰り返され、敗者の山だけがひたすら高く積み上げられていくが、 資本主義経済においては、それは避けては通れない道である。 世の中が安定していて平穏に流れている時は社会は喜劇で一杯になるのだろうが、 時代が大きな変化を遂げようとしている時には、沢山の矛盾や悲劇が生み出される。 物語で描かれる悲劇は現実の写し鏡のようなもので、ある意味時代・社会、そして それを構成する人々は誰かが悲劇を語ってくれるのを欲しているのかもしれない。 悲劇が言葉や文字という形をとった瞬間から、悲劇は徐々に悲劇性を和らげていき そのうちにその悲劇自体時代が産み落とした取るに足らない滑稽な出来事の一つ、もしくは神話や寓話のような 人間にはどうすることも出来ない古の時代に起こった大きな出来事の一つとして数えられるようになる。 しかし、悲劇がそのような段階になる通過儀礼として、まず誰かがその時代ならではの感性で悲劇を語らなければならないのかもしれない。 (2006.9.8/A) 夏目漱石(1867-1916) | |
|
| |
|
『湖水と彼等』(豊島與志雄/大正3年) 湖畔で茶店を営んでいる女性と、その店を訪れた青年の話。 日を追うごとに冬の訪れが感じられるようになったある日、一人の青年が湖畔に佇む茶店を訪れ、絵葉書を買っていく。そして一週間が過ぎ、またあの日の青年が店にやってくる。 「今日はお一人ですか?」 「えゝ此の頃ではお客もあまり無いのですから、女中は二三日前に兄の方へ。…(省略)…」 二人の会話が進む。 「…(省略)…いつも聖書をすこしづゝ読むことにしてゐますの」…(省略)… 「ずっと前からの御信仰ですか。」 「そんなに昔からでもありませんけれど……。」 さらに数日経ったある晴れた朝、彼が舟を借りにやってくる。 「でも水の上はお寒いでせうよ。……お一人?」 「いゝえも一人来るでせう。」 その日の午後三時頃、青年は一人の女性を伴って現れる。 「丁度月がありますから、もしかすると帰りは少し遅くなるかも知れません。御心配なさらないやうに。」 …(省略)… 「えゝ御悠りと。……でもあまり遅くなりますと心配ですから。」 そして青年と女性の乗った舟が、静かに渚を離れていく。 読んでいると、秋の爽やかな情景が目に浮かんでくる。茶店の女性と青年、そしてもう一人の女性の三人の心の内は、湖水に立つさざ波のように静かに、しかし激しく揺れ動いている。 これまでの人生で彼らに何があったのかは詳しく述べられていないが、その抑えたトーンが茶店の前に広がる情景と相まって、独特の世界を醸し出している。 (2003.8.10/菅井ジエラ) ※本誌内企画“「新思潮」を読む”より再掲。 豊島與志雄(1890-1955) 福岡県出身。東京帝国大学仏文科に進学後、『湖水と彼等』で文壇デビュー。続けて「新思潮」に発表した『蠱惑』で作家として広く世に知られるようになって以来、小説はもとより戯曲、童話、翻訳、評論なども手がけた。代表作に『野ざらし』、『どぶろく幻想』、翻訳『ジャン・クリストフ』、『レ・ミゼラブル』、童話集『エミリアンの旅』などがある。 大学で豊島の1年後輩である芥川龍之介は、彼と初めて会った時のことについて、「大へんおとなしい、無口な人と云ふ印象を受けた」と振り返っている。また、豊島の作品については、「始終豊島の作品を注意して読んでゐた所を見ると、やはり僕の興味は豊島の書く物に可成強く動かされてゐたのかも知れない」と書いている。 (『豊島与志雄氏の事』<芥川龍之介全集第3巻/岩波書店>より) | |
|
| |
|
『子をつれて』(葛西善蔵/大正6年) 西日の引いた縁側近くで、ひとり淋しく晩酌をしていたところに、立ち退き請求の三百がやってきた。 “一寸そこまで散歩に来たものですから…” 彼の一家は家賃の滞納で、今月の10日迄に立ち退くように言われているのだ。 しかし、彼には仕事も持ち合わせの金もない。妻は3人いる子どものうち、一番下の子どもを連れて郷里へと金の工面に行っているが、“無事着いた、十日迄には金を持って帰る”という手紙が一通あったきり、便りがない。彼は少しだけでもよいので、できるだけ立ち退く日を延ばしてほしかった。 「…どうかこの十五日まで御猶予願いたいものですが、…」 「出来ませんな、断じて出来るこっちゃありません!」 彼はこの3、4カ月にいろいろな友人から金を借りていたが、それを返せず、そのため周りに疎んじられる存在になっていた。最後まで金を貸してくれていたKも、常陸の磯原へ避暑に行っているらしく、今朝、彼のもとに絵葉書が届いていた。 そして、10日当日。立ち退きの期日がやってきた。三百が彼の家に顔を出した。 「家も定まったでせうな? 今日は十日ですぜ。…御承知でせうな?」 「これから捜さうといふんですがな、併し晩までに引越したらそれでいい訳なんでせう」 あてもなく住まいを捜す彼。そして新居が見つからないまま、とうとう日が暮れてしまい…。 彼は幼い子ども2人とともに、どんな生活を歩んでいくのだろうか。そして一番下の子どもと郷里に帰っている妻は彼らの元に戻ってくるのだろうか。この家の行く末を思うと、とてもとても淋しくなってくる。 (2006.8.30/菅井ジエラ) 葛西善蔵(1887-1928) 青森県弘前市出身。大正元年に処女作である「哀しき父」を発表。その後、数々の“私小説”を著している。代表作に「子をつれて」「椎の若葉」など。 | |
|
| |
|
『西班牙犬の家』(佐藤春夫/大正6年) 近頃では犬のフラテを連れての散歩も専ら彼の行きたい方向に任せていたが、その日も私は空想に浸りながら彼について歩いていた。 ぼんやりと2時間近く歩いた頃だろうか、いつの間にか見晴らしの良い場所まで登ってきたらしく、一面には見知らぬ光景が広がっていた。後ろを見ると雑木林があったのだが、林の向こうに何があるのか妙にそそられる。フラテも同じ考えだったようで、一緒になってずんずん入っていった。 30分、また30分と歩いては、こんな広い雑木林があったのかと少し驚いたが、そうこうするうちにフラテが立ち止まり、短く二声吠えた。 少し不思議だった。こんなところに住家があろうとは! 「林のなかに雑っている」という形容がふさわしい家。私は、その家の西洋風な佇まいに大変興味をそそられた。 “ともかくも私はこの家へ這入って見よう。道に迷うたものだと言って…” 正面へ回り石段を登って玄関の扉をたたいたが、誰も応答しない。一瞬、空き家なのかとも思ったが、もちろん空き家ではない。というのも、窓越しに家の中を覗くと、卓にあった吸いさしの煙草から煙が立ち上っていたからだ。ますます興味をもった私は、どうしても家に入りたくなった。それで、もし主人が帰ってきても訳を話せば快く歓迎してくれるだろうと虫のよい解釈をして、こっそり扉を開け中に入った。すると…。 真っ黒な西班牙(すぺいん)犬がいた。その犬は丸くなって居眠りしていたが、私たちの訪問にのっそり起きあがった。……。 作品タイトルに「(夢見心地になることの好きな人々の為めの短篇)」という添え書きがされた、何とも幻想的な物語。 (2007.3.28/菅井ジエラ) 佐藤春夫(1892-1964) | |
|
| |
|
『屋根裏の法学士』(宇野浩二/大正7年) 法学士の乙骨三作は、大学を卒業してから5年経った今も職をもっていない。小さな頃から文学に興味を抱いていたが、周囲の反対から文学の道へは進めず、半ば強制的に法学の道に進んだ。そんなものだから肩書きだけは法学士だが、実生活は文学書生のようなもの。根気も勇気もなく、常識に欠ける彼にとって、世間は何もかもが味気なく不快だった。彼の一日といえば、寝るか食べるか友人を訪ねるか。部屋の押し入れの上の段に敷いた万年床が彼のお気に入りの場所だ。押し入れの戸を開け、さらに部屋の窓を開け放しておくと、往来を見渡すことができる。彼は外を通る人たちを眺めるのが好きだった。 また、彼は寝ていて夢を見ないということがなかった。「おれは、力士になっても、決してさう弱い者にはなっていない筈だ」「おれはなぜもっと法律を身を入れてやっておかなかったろう」。そしてある日、宙を飛んでいる夢を見た。中学時代に幅跳びの名手だった彼は、目が覚めると下宿屋の廊下に出て、実際に飛べないものかと何度もむきになって挑戦するのだった。 宇野浩二の作品には「ダメ人間」がよく登場する。乙骨三作も高慢で自尊心が強いため、定職に就こうとせず、毎月おこなっていた田舎の母への仕送りも途絶えさせてしまうダメ人間。親類から手紙で、「お前が母親の面倒をろくに見ないからこちらで面倒をみる。だからこれからは夢にも母親に金をねだるな」と言われる始末だ。貧乏生活をしながら、毎日を無為に過ごす三作。夢ばかりに想いをはせる彼を、皮肉的にではなく好意的に描いているため、彼の堕落ぶりもユーモラスに見える。 後年、江戸川乱歩が自作『屋根裏の散歩者』のタイトルを、この作品からもじって付けたのは有名。乱歩自身、宇野浩二には多大な影響を受けたと書いている。 (2003.10.1/菅井ジエラ) 宇野浩二(1891-1961) 1919年、『蔵の中』で文壇に本格デビュー。その後、『苦の世界』を発表し作家としての地位を確立した。他の作品に『子を貸し屋』などがある。 | |
|
| |
|
『荊棘の路』(相馬泰三/大正7年) (レビュー未/以下は新潮社・新進作家叢書『夢と六月』の巻末に附された広告文) 湘南三浦半島の一角に村居せる若き芸術家の群れを題材とせるものにして、現文壇一面の記録とも称す可きほど新進作家の生活をさながらに描いて読者の興味極めて豊かなる傑作小説也。量は八百枚に近き長篇、随所に種々の問題を提出しつゝ各方面より作者の現代観を語ると共に、文学と文学者との関係を痛切に見、描ける点に於いて、文学に志ある人の必読せざる可からざるものたり。 相馬泰三(1885-1952) | |
|
| |
|
『家長』(相馬泰三/大正7年) ある日の夜、針仕事をしながら夫を待つ妻と、母のそばで何かの本を読みつづける息子。 いつもなら、妹たちも一緒になって父が帰るまで待っているのだが、その日は朝からいろいろ働いて疲れたせいか、夕食を済ますとすぐに床に入ってしまった。 残る母と息子も眠気をもよおしていた。 柱時計が夜の11時を告げたが、父はまだ帰ってこない。 眠たそうな息子に向かって、「睡むたかったらおやすみ!」 と母は言ったが、息子が“飛んでもないことを!と言うような顔をするのを見て”黙ってしまった。 そして、まもなく人力車の音が聞こえ、主が帰ってきた…。 威厳ある父親像。果たして、今の時代にこんな父親(家長)は残っているのだろうか? (2007.5.26/菅井ジエラ) 相馬泰三(1885-1952) | |
|
| |
|
『反射する心』(中戸川吉二/大正7年) (レビュー未/以下は新潮社・新進作家叢書『地中海前後』の巻末に附された広告文) 一青年と一藝妓との恋愛事件を中心となし、作者得意の心理解剖を恐にす。敏感、胡蝶の鬚の如く、尖鋭、蓄音機の針の如き作者の神経と情緒とは、複雑なる恋愛心理の機微を描いて、一線を剰さず一点を過たず、まことに新しき心理小説、新しき恋愛小説として、現文壇に独特の地位を占むる作品と云ふを得可し。 中戸川吉二(1896-1942) | |
|
| |
|
『イボタの虫』(中戸川吉二/大正8年5月) 突然私は無理矢理兄に起こされた。机の上の置き時計を見ると7時半。2時間ほどしか眠れていない。 「兎も角起きろ」という兄に従うまま、着物を着替えて帯をしめ、何か話そうとすると、兄が恐い顔をして強い口調で言う。 「美代が悪いんだ。…昨夜一と晩で急にヒドく悪くなったんだ。肺炎だと云ふんだが、妊娠中のことでもあるし、もう駄目らしい。今日午前中持つかどうか……」 私は昨日、母から注意されたので姉を見舞ったが、その時はさして重体という感じではなかった。それが今では、医者がもう駄目だというほど重篤だという。 兄は熱海にいる父と花子のところへ電報を打ちに行く。そして私は母のたっての希望である薬を買いに行ってほしいと頼まれた。 「──広小路へ行ってね、イボタの虫ってものを買って来て貰ひたいんだ」 「イボタの虫って……」 「…売薬だがね、好く利く薬なんださうだ。母あさんが是非買って来いと云ふんだから、買って行けよ」 「だって、そんなもの……」 売薬の効果などを信じていない科学者の兄が、母の頼みを聞き入れようとしている。私は兄を気の毒に思わない訳には行かなかった。 そして、私は広小路のどの店に売っているかも分からない得体の知れない薬を買うために部屋を出た。 道中、私の脳裏によみがえる姉との思い出。そして姉との永遠の別れ。 情感たっぷりに描かれるこの作品は、大正文学の名作中の名作と呼んでもよい。 もっとたくさんの人に読んでもらいたい素晴らしい作品だ。 『イボタの虫』(新潮社・新進作家叢書18/大正8年)所収 「イボタの虫」「金を受取る話」「兄弟とピストル泥棒」「わかれ」「島で遇った画家」 (2007.3.26/菅井ジエラ) 中戸川吉二(1896-1942) | |
|
| |
|
『追ひかける話と追ひかけられた話』(中戸川吉二/大正8年12月) 文芸雑誌「新創作」の主任記者である田山清は、いつもの春仙堂の2階に出勤すると、Aという男が彼を待ちかまえていた。 Aはある大新聞の社会記者で、田山とは1、2度どこかで遭ったにすぎない間柄だったが、彼はひどく親しげに田山に話しかけてくるのだった。 Aが話題にしたのは、当時全国紙を賑わしていた葉子事件のことだった。 “伯爵花川家の息女葉子が、養子の夫をすてゝ、抱えの自働車運転手と千葉へ逃げ、心中しそくなつた事件” その後、葉子は千葉の病院に入院していたが、各紙とも彼女が病院から出てくるところをキャッチしようと躍起になっているのだ。 「さうかね。そんなにまでにして何処の社でもあの事件は書き立てずにゐられなかつたものかね…」 Aは話を続ける。 「…僕も、失敗には失敗しちまつたけれども、花々しい活動の主人公でもあつたんですからね……」 「花々しい活動の主人公。──一体、どうしたんです」 「たいへんな騒ぎさ。悪漢追跡の一幕を演じたんですよ……」 「悪漢追跡だって……」 こうして、Aの“追ひかける話”が始まるのだった。… …そして、今度は田山が話し始める。 「自動車で追ひかけたと云えば、君のとは逆な運命の話で、痛快な話をきいたことがありますよ」… Aが語る“追ひかける話”と、田山が語る“追ひかけられた話” どちらも自動車やオートバイがまだ珍しかった頃ならではの話だ。 『青春』(太陽堂/大正10年)所収 「晩春」「義兄」「追ひかける話と追ひかけられた話」「結婚の空想」「伊香保火事」「清子」「二夫婦半」 (2007.10.21/菅井ジエラ) 中戸川吉二(1896-1942) | |
|
| |
|
『途上』(谷崎潤一郎/大正9年) 東京T・M株式会社の人事課で働く湯河勝太郎が会社帰りに新橋方面に向かって散歩していると、風采の立派な紳士に声をかけられた。この男は、湯河の親友である渡辺から紹介を受けたと言って、自分の名刺とともに、彼に渡辺の名刺を差し出した。名詞の一枚は紛れもない渡辺の名刺で、渡辺自身の筆跡で安藤に関する紹介文が記されている。そしてもう一枚、安藤の名刺には“私立探偵”と肩書きがあった。 安藤は湯河が勤める会社を訪ねて面会をお願いしてきたところだが、少し時間をもらえないかと聞く。湯河は「僕で分かることなら、何なりと…」と答えるが、できれば今ではなく、明日にしてほしいと言った。しかし、安藤は「御迷惑でも少しこの辺を散歩しながら話して戴きましょう」と、幾分強引だった。 「…或る個人の身元に就いて立ち入ったことをお伺いしたいのですから、却って会社でお目に懸るよりも往来の方が都合がいいのです。…」 湯河も安藤と話しているうちに、家などに探偵の名刺を持ってこられるのもよくないと思い、彼の提案に同意した。 湯河は安藤がどうして自分の元にやって来たのか大体想像がついた。 「…その男が結婚すると云うので身元をお調べになるのでしょうな」 「ええそうなんです、御推察の通りです」 「…一体誰ですかその男は?」 湯河は人事課というポスト上、安藤のような立場の人間によく会う。だが、今回はそれらとは少々事態が異なっていたのだ。 「…そうおっしゃられるとちょっと申しにくい訳ですが、その人と云うのは実はあなたですよ。あなたの身元調べを頼まれているんですよ。…」 “プロバビリティ(可能性)の犯罪”を扱ったものとしてよく知られている作品。刑事コロンボ的なところがあるような、ないような…。 (2006.5.6/菅井ジエラ) 谷崎潤一郎(1886-1965) 1910年、小山内薫、和辻哲郎らと第二次「新思潮」を創刊し、「刺青」「麒麟」などを次々と発表。永井荷風に激賞され、本格的に文壇に登場。デビュー当初「耽美派」「悪魔主義」といわれ、生涯にわたって官能的な日本女性美を追求した彼の作品は欧米でも人気が高い。代表作に『痴人の愛』『蓼食う虫』『春琴抄』『細雪』などがある。 | |
|
| |
|
『小僧の神様』(志賀直哉/大正9年) 仙吉は神田のある秤屋に奉公している小僧。 ある秋の日、一人の客もいない店内で番頭ふたりが話をしているのが耳に入ってくる。 「おい、幸さん。そろそろお前の好きな鮪の脂身が食べられる頃だネ」 「ええ」 「今夜あたりどうだね。お店を仕舞ってから出かけるかネ」 番頭たちは鮨屋の話をしていた。話に出た店は、仙吉が使いによく行くところだったので彼も知っていた。 仙吉は早く自分も番頭になって、美味しい鮨を食べられるような身分になりたいと思っていた。 それから2、3日経った日のこと。仙吉は電車賃を持たされて使いに出た。彼は片道分だけ切符を買って、帰りは歩いて帰るということをよくしたが、その日もそうして、懐に4銭残した。 「4銭あれば、ひとつ食えるが、一つ下さいとも云われないし」 仙吉は一度あきらめたが、どうしてもあきらめきられず、偶然見つけた鮨屋の方へ歩き出した。 一方、こちらは貴族院議員A。同じ議員仲間のBに屋台のうまい鮨屋を教わっていたAは、その日行ってみることにした。店に着くと、中にはすでに3人の客がいたが、すこし躊躇した後思い切って入ってみた。人と人の間に割り込んで食べる気がしなかったので、しばらくの間彼らの後ろに立っていたのだが、その時、不意に年の頃が13〜14歳の小僧が入ってきてAの前のわずかな隙間に立つと注文した。 「海苔巻はありませんか」 「ああ今日は出来ないよ」 小僧は少し思い切った様子で手を伸ばし、前に3つほど並んだ鮪の鮨を1つ摘む。しかし、「一つ6銭だよ」という店主の言葉に気を落として、その鮪を元の場所へ戻した。 「一度持ったのを置いちゃあ、仕様がねえな」 小僧は店の外へ出ていった。 Bにその日のことを話し、小僧をどうかしてやりたいと思ったが、結局は何もしてやれなかったと悔やむA。 しかしある日、自分の子どものために、風呂場へ備え付けるための体重計を買おうと立ち寄った秤屋で小僧を見つけると、……。 志賀直哉による最良のファンタジー作品とでも言おうか。 この作品により、志賀直哉は“小説の神様”という称号を得た。 (2007.1.4/菅井ジエラ) ※本誌内企画“志賀直哉を読む”より再掲。 志賀直哉(1883-1971) 詳細は本誌内企画“志賀直哉を読む”ページをご覧ください。 | |
|
| |
|
『若き日』(加能作次郎/大正9年) (レビュー未/以下は新潮社・新進作家叢書『涯なき路』の巻末に附された広告文) 近時稀有の長篇恋愛小説也。五百七十頁の大巻を満たすものは恋の幾事件也。一人の男を取りまく種々の女性によりて次ぎより次ぎへと起る恋の種々相が、著者の魅力ある筆によりて細描せられたり。 加能作次郎(1885-1941) | |
|
| |
|
『顔を斬る男』(横光利一/大正10年) 金六は東京から京都の姉夫婦の所へやってくる。 そして、義兄と一緒に釣りをしていると、春先という季節がらとそういう年頃のせいだろうか急に性的な興奮を覚える。 金六は結婚以前に、恋人もいないし、恋自体したことがないことが問題なのだと考える。 金六は姉に杓子顔をしていると言われたことを気にしながら、風呂屋に行けば番頭にいる若い娘にすぐに惚れるものの、杓子顔を見られたくないという素振りをする。 風呂屋から戻ってくると、姉と娘の三重子と三人で活動写真を見に行く。 まだ、幼い三重子が前の客にいたずらしているのを見て、金六は恥ずかしさのせいで他人の素振りをしようとしたり、 目線の先にいる娘が自分の方を見ているのに気づいて、自分に恋をしているのではないかと思う。 芝居が山場に差し掛かった頃、三重子の姿を見失う。 しばらくして物音がした後、三重子が泣き叫ぶ声を共に姉がやってきて、 三重子の眼がガラスでつぶれたから、早く義兄に知らせてほしいと金六に言う。 金六は家に駆けていく途中、三重子が怪我をした原因は自分にあると思い込み、 二十年間三重子が大きくなるのをまって結婚しようと考える。 三重子の怪我に対して相当思いつめながらようやく姉夫婦の家にたどりついた金六は、 釣った魚のモロコの調理を終えて小皿にのせて現れた義兄を無視して、台所に向った。 金丸は包丁を手に取ると、包丁の刃で自分の頬に傷をつけて血を垂らしながら自分に向って、 「なぜ悲しいんだ!なぜ悲しいんだ!」と自分の不潔さを攻め立てるのだった。 物凄く短い短編で、描写とかディテールは悪くないのだが、 題材からストーリー、登場人物に到るまで全て最悪の作品。 もてない男が悶々としていて、自分がもてない原因は自分の杓子顔のせいにして 本当の自分と向き合うことをせずに逃げてばかりいて、 あげくのはてに偶然の事故で怪我をした赤ん坊の姉の娘の将来を慮って、 自分の嫁にしようと考えたけど、やっぱり自分にはそんな勇気がないというので 気分が変になって顔を斬るという話なんだが・・ まあ、意味が分からなくはないんだが、 横光さん、こんな話はないんじゃないの? (2006.7.15/A) 横光利一(1898-1947) 福島県出身。「ナポレオンと田虫」「春は馬車に乗って」などすぐれた短編を数多く残している。代表作に『家族会議』『旅愁』など。 | |
|
| |
|
『微光』(加能作次郎/大正10年10月) 東北の山の中から上京し、ある家の下女として働くお玉。17の歳から5年間、“神妙に忠実に”働き続けてきた。 彼女は“極めて醜い無格恰”で“よほどの気まぐれな男でゞもなければ、一寸手を出す気にはならないであらうと思はれる位”だった。 彼女自身も自分の醜いことを自覚していたが、やはり“人並の幸福な生活が出来さうにない”と考えると悲しくなった。 そんなお玉も、お使いなどで町を歩くと、若い娘や綺麗な女性に目がいく。 すると、向こうもお玉を見返すのだが、お玉にはその目が彼女の醜さを嘲笑っているように思えてならなかった。 それはお祭りの日のこと。赤ん坊をおんぶして境内に遊びに行った時に起こった。 お玉は“揉まれるような人込みの中で”茶番を見ていると、彼女の右手が知らない誰かの手に触れた。 そして最初は分からなかったが、その手は意識的にだんだん強く彼女の手を握ってくるのだった。 お玉は振り返って、自分の手を握る男の顔を確かめたかったが、どうしても振り返って見ることができない。 “顔がぽつとほてつて来るのを感じた”。……。 “みにくい”“汚い”“醜女”“全体が不具”…。 容姿に対する差別的な表現が数限りなく出てきて、特に冒頭のくだりなどは、「これはあまりにも…」と思ってしまう内容だが、 物語の主人公であるお玉は、その状況をすべて受け入れて生きようとする。 話は、そこに“ほの明るい幸福の微光”が輝き始めると結ばれるが、今の時代、少なくとも私の感覚では合点がいかない。 つまり、これは大正という時代ならではの作品ということになるのだろうか。 『微光』(愛文閣/大正11年)所収 「純情」「微光」「夢想家」「拳銃」「泥棒除け」「復讐」「水は流れる」「気休め」「喜ばしき夢」「頓智」「父の顔」 (2007.10.17/菅井ジエラ) 加能作次郎(1885-1941) | |
|
| |
|
『父の出郷』(葛西善蔵/大正10年12月) 息子のFを、妻の郷里に帰して過ごさせてやろうと思った。 この夏からずっと私は病気と貧乏のため惨めな生活を送っていたので、 母や妹たちがいるところで情愛に包まれた暮らしを送らせてやろうと思ったのだ。 もっとも、妻も長女も、さらに二女の雪子は入院騒ぎを起こしていた。 また、夏に義母がなくなって以来、残された義父の消息も気がかりだった。 思えば、昨年の春に私を訪ねてきてくれた従兄のKは12月になくなった。今年の春に伯母と一緒に来てくれた義母は両眼失明になり、惨めな死に方をした。そしてこの春に突然やってきた従弟のTは、つい2、3日前に北海道のある市の未決監から葉書をよこした。 中学の入学試験を控えるFには大変申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、弟に頼んでFを引き取りにきてもらうことにした。 「母さんとこで二三日遊んだら、祖父さんの方へ行ってすぐ学校へ行くようにせ。僕もぢきに帰る。どつちにしてもお前の入学試験時分までには帰るから、どこに居つても意気地なくかゝつて泣いたりするな」 その当日。いきなり一通の電報がきた。差出人が妻になっていたので、 私は思わず息をのみ、“雪子が死んだ…”と思って封を切る手がふるえてしまった。 電報にはこう書いてあった。 “─チチシスアサ七ジウヘノツク─” 父が死んだ? それで明日の朝に妻が出てくる? 父が死んで、妻が出てくるというのも変な話だが、とにかくただ事でないことだけは確かだ。 今日のFの帰郷は、ひとまず取りやめることにした。……。 貧困な生活の中で起こったある事件が、彼の気持ちをさらに暗くさせるのだった。 (2007.10.25/菅井ジエラ) 葛西善蔵(1887-1928) 青森県弘前市出身。大正元年に処女作である「哀しき父」を発表。その後、数々の“私小説”を著している。代表作に「子をつれて」「椎の若葉」など。 | |
|
| |
|
『犬』(中勘助/大正11年) クサカという町から少し離れた森の中にひとりのインド教の苦行僧がいた。 元は町中に住んでいたが、回教軍がやってきて町を跡形もなく焼き払ったため、森の中に草庵を作って信仰をつづけていたのだ。 彼の年齢は50前後といったところか。 苦行のためか“白髪まじりの髪は脳天まで禿げあがり”、“睫毛のない爛れ眼がどんよりと底光り”をしていた。 ところで、毎日、日の暮れる頃になると決まって草庵のそばを通り過ぎるひとりの若い百姓娘がいた。 年齢は17。境遇は良くなかったが、“丈夫に生れついた身体は必要上めきめきと発達”していた。 ある日のこと。僧が苦行を終えてちょうど立ち上がろうとする時、その彼女が通りかかった。僧は声をかけた。 「これ女、そなたは毎日なにをしにくるのじゃ」 「猿神様へ願がけにゆくのでございます」 「それはどういう願をかけに」 「この子の親にあいたいのでございます」 聖者は女の言葉に愕然とし、問いつめた。 すべてを話し尽くした彼女によれば、以前、回教徒がクサカの町に宿営した際、1人の従者を連れた若い隊長に陵辱され身ごもった。しかもその男を愛してしまったという。 彼女の話を聞き、怒りに震えた僧は、憎き邪教徒に嫉妬を覚えた。 「そちの罪業は深いぞよ。明日から七日のあいだ今日の時刻に湿婆(シバ)にお詫びをしにこい、必ず忘れるなよ。さあ帰れ。穢れた奴」 彼女は次の日から“邪教徒の天幕よりも怖い聖者の草庵”に通い、僧に教えられた通り“罪をゆるして、身を浄めて”と祈った…。 その後、嫉妬に狂った苦行僧は若い回教徒の男を毘陀羅法(びだらほう)で呪い殺し、女と自分を犬の姿に変え、これまでの信仰をあっさりと捨てて肉欲に溺れる。 何ともエログロな話だが、この続きがある。 僧犬となった男の子どもを産んだ女は、自分の乳をあげながら育てる。しかし、ある日のこと…。 この作品が初めて雑誌に掲載された際、その雑誌が発売禁止になったというが、昔ならそれも分からなくはない。 それほど衝撃的な内容だと思うが、その衝撃以上に、この作品で著者が訴えようとしているテーマは途轍もなく大きい。 (2007.10.5/菅井ジエラ) 中勘助(1885-1965) | |
|
| |
|
『お富の貞操』(芥川龍之介/大正11年) 明治元年のある日、上野界隈の町屋は住民たちが戦禍を恐れ立ち退き閑散としていた。 新政府軍が彰義隊を攻撃するために戒厳令を出した為だった。 ところが、下谷町二丁目の小間物店では物音がしていた。 主人たちが逃げ去った後、飼い猫の牡の三毛猫が置き去りにされていたのだ。 そこに、雨に濡れた乞食の新公が誰もいないことをいいことに上がりこんできた。 乞食の新公は馴染みの三毛猫を撫でた後、短銃を手に取って弾薬を装てんし始める。 すると、小間物店の娘・お富が置き忘れた三毛猫を連れ戻しに一人で帰ってきた。 新公はお富の若い色香に魅了されつつ戻ってきた事情を聞いていると、 こんな時に猫ごときを助けに戻ってくるなんて若い女がするもんじゃないと 照れくささから説教を垂れる。 ところが、説教くさい新公に苛立ったお富は突然感情的になって傘で新公を殴りだすのだった。 結局、新公は懐にしまっていた短銃を取り出すことになり、お富は大人しくなる。 新公は三毛猫を短銃で撃ち殺さない代わりに、お富の体を抱く約束をするのだった。 新公は茶の間でお富が帯を解き畳の上で寝ころがった音を確認すると、 茶の間に足を踏み入れるが、新公はお富の姿を一瞬見てすぐに台所へ引き返してしまう。 そして、猫を助け出すために一人で戻ってきたお富の勇敢さに感心した新公は大人しく家から出て行くのだった。 明治23年、上野広小路では博覧会の開会式が行われ、政府の高官らを乗せた馬車や人力車が行きかっていた。 夫と子供たちと一緒に見に来ていたお富は、馬車に乗っている新公と目が合う。 新公の胸元は数々の名誉の標章や勲章で埋め尽くされていた。 (2006.6.26/A) 芥川龍之介(1892-1927) | |
|
| |
|
『三つの指紋』(松本泰/大正11年) (レビュー未/以下は金剛社・松本泰秘密小説著作集第一編『三つの指紋』の巻末に附された、同著作集に関する広告文) 日本では通俗的な探偵小説などを作ることを卑しめてゐるやうな風があるが、それは間違つてゐる。一口に探偵小説といふけれど、欧洲の傑れた斯の種の小説には、日本の芸術的小説などと自ら吹聴するものや甘い家庭小説や雑誌小説などの足元へも寄りつけぬ深刻な人間味や社会相や詩がある。著者は三田文学の俊髦であるが、今回奮然文壇の陋習を捨てゝ日本で初めての創作探偵秘密小説を世に問ふことになつた。著者英京倫敦に滞留する事前後五年、具さに欧米の天地を巡遊して、材を世界各地に採り、社会生活の暗面と陰微とをその筆に上す。 第一編 三ッの指紋 第二編 呪の家 以下続刊 通俗小説必ずしも通俗卑劣なるものにあらず、芸術的創作と銘を打ちたるもの一片の駄文に過ぎざる事間々多し。日本の芸術家と称し且つ呼ばるゝ士の作品に欧洲の作家を巧みに模倣してゐるもの数ふるに堪えざる可し。之等の鑑賞眼は一二の批評家のみに委しく置くは余りに無智なり。読者自身其明を持して鑑賞せざる可からず。本書自ら秘密小説創作集として著者信ずる所あり、書肆いさゝか冒険的にこの書を読者の机上にま見えて其鑑賞を託さんとす。敢て江湖の清鑑を待つ。 松本泰(1887-1939) | |
|
| |
|
『美の誘惑』(本田緒生/大正11年) 呪われた真珠の行方はしばらく分からなくなっていたが、秋月が招待を受けた家で偶然に見つかった。 それは秋月よりも3つばかり年上の永井という男の細君である梅子の指に輝いていたのだ。 梅子は“鼻すぢの通った、口許の可愛らしい、目のぱっちりした”美人で、ふたりは誰もが羨む仲のカップルだった。 秋月はこの曰く付きの真珠について、永井に話すわけにもいかず、何も不吉なことが起こらないように祈るばかりだった。 しかし、そうした秋月の願いもむなしく事件が起きてしまう。梅子が毒殺されてしまったのだ。 牛乳に混入されたモルヒネが原因だった。 この事件に関係者として挙げられたのが、当の梅子と永井、女中のお花、そして牛乳配達夫だった。動機などの理由から自殺は考えられなかったので、梅子本人は外された。では、殺人犯は永井なのか、それともお花なのか、牛乳配達夫なのか。 調査が進むにつれて、ある重要なことが明らかになった。それは永井家の家計が実は火の車だったこと、そして梅子の名義で高額の保険がかけられていたことだった。一挙に永井が怪しくなる。そしてついに、永井が警察に逮捕されてしまった。永井が紙包みに入った薬を牛乳に入れているところを見たと、お花が警察に供述したのだ。 しかし、心から愛しているようにみえた細君を永井が本当に殺めたのだろうか。……。 話は、秋月が婚約者の百合子に手紙で事の成り行きを説明するという形で展開される。事件の真相を探ろうと東奔西走する秋月。そして、手紙の文面からある矛盾を見つけだす百合子。それにしても、警察は何をやっているんだ。 (2006.8.23/菅井ジエラ) 本田緒生(1900-1983) 名古屋出身。大正11年にあわぢ生名義で応募した「美の誘惑」が、雑誌「新趣味」の懸賞で二等に入選。第一作の「呪はれた真珠」が、同じく「新趣味」の懸賞で選外佳作となったのに続いての栄誉となる。その後、さまざまな雑誌に入選している。 | |
|
| |
|
『淫売婦』(葉山嘉樹/大正12年) 7月の蒸し暑い夕方、ひとりの船員が散歩道を歩いていると三人組の男に声をかけられる。 「若い者がするだけの楽しみを買う気はないか」。 金は持っているかと聞く相手に男はポケットに入っていたありったけの金を出してみせると、電車賃の10銭だけ残して全部まきあげられてしまう。そして彼は倉庫のような建物に案内される。建物の中は暗くて何も見えなかったが、目が慣れるに従って、人間の下半身のようなものが見えた。その時、三人組のひとりが口を切る。 「あそこへ行って見な。そしてお前の好きなようにしたがいいや」 ひとり残された彼は、その謎の物体に近づいていく。死体のようだがどうやらかすかに息をしているらしい。そこには22〜23歳の若い女性が全裸のまま仰向きに横たわっていた。彼女の周りは嘔吐物や黒い血痕でねばねばし、ひどい悪臭を放っている。彼はその時になって、三人組が言っていた「若い者が楽しむこと」の意味が初めて分かった。力のない声で「あまりひどいことをしないでね」と言う彼女。彼らは若い男をここに連れてきては、この女性を商売の道具にしているのだ。「俺は彼女を助けてあげなければいけない」。男はそう考え行動に移す。だがその時、彼女の口から意外な言葉を聞くのだった。 ブルジョア対プロレタリアの構図が鮮明に見える作品。読んでいて熱いものを感じる。プロレタリア文学って何?という人にも理屈抜きでぜひ読んでみてほしい。逮捕・投獄されながら数々の作品を残したプロレタリア作家たち。彼らは大正という時代が生み出した遺産だ。 (2003.9.30/菅井ジエラ) 葉山嘉樹(1894-1945) プロレタリア文学の代表作家といえる小林多喜二にも多大な影響を与えた作家。それまでのプロレタリア文学になかった独特な作風で、当時の文壇に旋風を巻き起こした。『淫売婦』の他、代表作に『海に生くる人々』『セメント樽の中の手紙』などがある。 | |
|
| |
|
『幸福の散布』(横光利一/大正12年) ある電車の中での話。 車内は私だけが一人立っているといった混み具合。私は吊革を持ったまま、辺りを見回すと、大男が一人いるのを見つけ驚いた。というのも、とてつもなく大きな男だったからだ。 体の幅が私たちの三人分はある。眼も馬ほどある。これは現実の世界とは到底思えない。私はそのうちに笑い出した。周りの乗客はといえば、みな一様にこの大男を無視するかのように眼をそむけていたが、私はつきあげてくるこの微笑をどうすることもできず、苦しみながら窓の外を眺めていた。すると、その男が私の顔をじろじろ眺め出し……。 電車の中で一瞬の時間を切り取って掌編に仕立てたものはいくつかあるが、なぜか微笑ましいものが多い。本作品もタイトルにあるように、読後に小さな幸福を運んでくれる。 (2006.8.21/菅井ジエラ) 横光利一(1898-1947) 福島県出身。「ナポレオンと田虫」「春は馬車に乗って」などすぐれた短編を数多く残している。代表作に『家族会議』『旅愁』など。 | |
|
| |
|
『「ファイヤガン」』(徳田秋声/大正12年) 署長命令で、その署にいるすべての刑事が招集された。全市が大混乱に陥っている中、署長室に集まった刑事たちは何か重大事件でも起こったのかと署長の顔色を伺っていたが、それ以上にずっと署長と密談をしている老紳士は一体何者なのか気になっていた。それが署長の一言で破られる。 「處でこゝにゐられるのは理学博士の××さんだがね、…」 聞くと、○○大学に「ファイヤガン」と書かれた得体の知れぬものが落ちていたらしく、××博士曰く、これは大変恐ろしいものだという。それで、博士は実際に多くの刑事たちに実物を見てもらい、説明を聞いてもらった上で、しかるべき対応をとってほしいと警察にお願いに来ているらしかった。 その道の研究をしているという博士によれば、筒状でビール瓶よりも一回りほど太いこの物体は、ドイツの飛行船から投下され、ロンドンやパリの市民を震え上がらせた爆弾に似ているという。この爆弾は3000度の猛火で300メートルにわたり焼き尽くしてしまうものらしく、まったく同じものではないが同種のものなら危険極まりない。この非常時に、このような爆弾を使った暴動が起こると治安は維持できない。刑事たちは、全力を挙げて「ファイヤガン」の捜索に乗り出したのだが…。 大正12年9月1日に起こった関東大震災。14万人以上の死者・行方不明者を出した未曾有のできごとに社会が混乱する中、人々はどういった精神状態で生活を送っていたのかが垣間見られる。 (2007.3.30/菅井ジエラ) 徳田秋声(1871-1943) | |
|
| |
|
『呪われの家』(小酒井不木/大正13年) 大正13年6月2日の夜、東京の小石川で殺人事件が起こる。小石川区指ヶ谷町○○番地の坂の上で、「人殺しーい」という悲鳴が聞こえたので、付近の住人が驚いて外に出てみると、20歳ばかりの女が地面の上にうずくまって苦しみに喘いでおり、その後、間もなく息絶えてしまったのだ。近くの交番の巡査が警視庁に知らせると、ほどなく朝井刑事、警察医、写真班他、捜査陣が現場に到着。朝井刑事は懐中電灯で辺りを捜索していると、息絶えた女が死の間際に書いたと思われる文字が地面にしっかりと残っていた。カタカナで3文字。「ツノダ」。彼はその文字を写真に撮らせた。 一方、時を同じくして小石川でもう一つの事件が起こる。交番の巡査が夜中に町を巡回していると、向こうから誰かがやってくる。巡査は物陰に隠れ、この人物を観察していると、その者は何を思ったか、急に「人殺しーい」と叫んだ。巡査はその者を取り押さえ、交番に連行して調べてみると、左の袖に血痕が5つ6つ付いている。平岡貞蔵という名の、女のように色の白いやさ男だったが、どうしたのか尋ねても、恐ろしい男に追いかけられていたというばかりで血痕についてはまったく分からないの一点ばりだった。 明らかに関連性があると思われるが、どのようにつながっているのか皆目分からない2つの事件。殺された女と平岡とはどのような関係があるのか?女が残した「ツノダ」というダイイングメッセージは何を表しているのか?これらの事件の解決をすべく、“特等訊問法”の使い手として名高い警視庁警部霧原庄三郎が乗り出す。 日本におけるミステリー小説黎明期に活躍した、小酒井不木の探偵小説デビュー作。横溝正史しかり、江戸川乱歩しかり、昔のミステリーには“業”というものが物語の中に介在していて重厚感がある。 (2004.10.11/菅井ジエラ) 小酒井不木(1890-1929) 39歳という若さでこの世を去った夭逝の作家。東京大学医学部卒。医学博士という肩書きを持ち、探偵小説からSFものまで、医学の知識が存分に生かされた彼の作品群は異彩を放っている。代表作に『疑問の黒枠』『人工心臓』『恋愛曲線』など。 | |
|
| |
|
『頭ならびに腹』(横光利一/大正13年) 真昼のこと。 満員の客を乗せた特別急行列車は全速力で駆けていく。その乗客の中には小僧が1人。 彼は“窓枠を両手で叩きながら”大声で歌い出す。 「うちの嬶ア 福ぢやア ヨイヨイ、 福は福ぢやが、 お多福ぢや ヨイヨイ。」 笑いが起こる車内。なおも次から次と歌い続ける小僧。その後、他の乗客はだんだんと彼の相手をしなくなる。 そして車内が“退屈と眠気のために疲れていつた”頃、突然列車が止まった。 騒ぎ出す乗客。 「どうした!」 「何んだ!」 「何処だ!」 「衝突か!」 しばらくすると、車掌が現れ…。 ある日の車内の風景を、彼独特のタッチで描いた作品。 横光利一や川端康成(伊豆の踊子)をはじめ、岸田国士(第一幕)、中河与一(氷る舞踏場)など、この年に創刊した「文芸時代」に作品を寄せた作家たちは“新感覚派”と呼ばれた。(この作品は創刊号に掲載されている) 「頭ならびに腹」というタイトルは、中河与一の「刺繍せられたる野菜」などと並び、何とも新感覚派らしい。 (2007.10.4/菅井ジエラ) 横光利一(1898-1947) 福島県出身。「ナポレオンと田虫」「春は馬車に乗って」などすぐれた短編を数多く残している。代表作に『家族会議』『旅愁』など。 | |
|
| |
|
『新魔王』(藤井真澄/大正13年) 少し未来の話。その頃、世間では実業家の大川定助に関して良からぬ噂が立っていた。 米の値段が暴騰しているこの時期に、米を秘密裡に買い占めて私欲を貪っているというのだ。「人道の敵、正義の仇である“新しき魔王”は庶民の生活を貧窮させているが、この血も涙もない振る舞いにはすぐに制裁が下されるであろう」。新聞もこのような内容の記事を書いていた。 社会がこうした状況にあるためなのか、ある泥棒の一団が組織され、米の買い占めを働く悪魔から金品を強奪し、庶民に還元している。 大川はまだその被害に遭っていないが、この一団は「新大塩平八郎」と呼ばれていた。 大川の息子定夫は、こうした父の昔から私利私欲を追求する態度が許せず、家を出ていた。 また現在、大川の秘書を務める娘の秋子も父の頑固な態度に愛想をつかし、秘書役を辞することに決めているのだった。 その日、子爵で慈善事業家の月村清という名の男性が、池山という名の従者を連れて大川の元を訪れた。 月村は大川の持っている米を買い取って町に配りたいので、売ってくれないかというのだ。 値段交渉がうまくいき商談成立となった2人。しかし、あくまでも現金払いを主張する大川に、月村は池山を銀行に行かせ現金化させて戻ってくることを指示。 月村は残って池山が帰るのを待っていたが、そこに思わぬ来客があった。 「…俺たちは新大塩平八郎の一団だ! 天に代って手前達を征伐するのだ!…」 大川は有り金のほとんどを一団に取られてしまったのだが…。 すべての国民が住みよい理想の社会を作るには、どうすればよいのだろう。 『戯曲集 新魔王』(新潮社/大正13年)所収 「窟(四幕)」「窟を出て(五幕)」「孤独の底の日蓮(一幕)」「新魔王(一幕)」 (2007.11.11/菅井ジエラ) 藤井真澄(1889-1962) | |
|
| |
|
『氷る舞踏場』(中河与一/大正14年) 場所はある北国の街。“冷酷な雪の化粧”に覆われ、街全体が凍り付くほど寒い夜。蕩児たちが“無礼な”舞踏会を催している。 “眼のさめるような贅をつくした毛皮につつまれた人、大地主である赤肥りのした貴族、知りあって間もない恋人同士、海豹の皮で成金になった野獣のやうな男、夫の刻苦した遺産を漁色生活に変化させてゐる未亡人……” 至る所でこれらの招待客たちが、楽士の奏でる音楽に合わせ踊り、会話を楽しんでいる。 「感激の無いのに愛情を装ってゐるのは罪悪だからな」 「さうよ、退屈したら別れる方がいいんですわ」 「なるほど、それはさうだ。初めて──と然し貴方の中にいろいろな女を見たからな」 「ぢや私の中の別の女と次の恋を初めて下さらないこと」 歓楽に酔う人々。たばこの煙に人の熱気、外界からまったく遮断されてしまっている邸内は暖房がききすぎて熱がこもっている。 誰もが、この熱気にフラフラになり、次第に狂気じみてきて……。 読んでいるうちに、吉行エイスケの諸作品が頭に浮かんだ。しかし、エイスケ作品には見られない話の結び方に斬新さを感じた。 (2006.7.19/菅井ジエラ) 中河与一(1897-1994) 大正13年10月、「文藝春秋」の同人たちとともに「文藝時代」の創刊に参加し、「刺繍せられたる野菜」「氷る舞踏場」などを発表。横光利一、川端康成、岸田国士らとともに誌面を賑わせ、新感覚派と呼ばれた。代表作の『天の夕顔』(昭和13年)は海外でも高い評価を受け、英語・フランス語など6カ国語に翻訳されている。 | |
|
| |
|
『D坂の殺人事件』(江戸川乱歩/大正14年) 9月初めのある蒸し暑い晩のこと。わたしはD坂にある白梅軒という行きつけのカフェで冷やしコーヒーを飲んでいた。下宿から近いのでよく立ち寄るのだが、その日もいつもの往来に面したテーブルに陣取っていた。 その白梅軒の真向かいに古本屋があるのだが、わたしはさっきからずっと店の方を眺めていた。というのも、最近この白梅軒で知り合った明智小五郎という名の、探偵小説好きの変わり者の幼なじみが、古本屋の女房になっているというのを、このあいだ彼から聞いたからだ。この女性がなかなかの美人で、夜は決まって彼女が店番をすると聞いていたのでさっきから捜していたのだ。それが二間半間口の手狭な店なのにも関わらず、誰もいない。よく見ると、店と奥の部屋の間にある障子がぴしゃりと閉められてある。寒い冬ならまだしも、蒸し暑い晩に、しかも万引きの被害に遭いやすい商売なのに。少し変な光景だった。 それから30分ほど経った頃だろうか。明智がやって来た。隣に腰掛けた彼は、わたしの視線の先にある光景に同じ印象を抱いたのか、少しも目をそらさず、じっと一点を見つめていた。 「きみも気づいているようですね」 明智が来てから30分も経っていないのに、その間に本泥棒が4人も来ている。それなのに、障子の向こうにいるはずの彼女が姿を現さないのだ。明智とわたしは店に行ってみることにした。 そして…。奥の間で発見したのは首を絞められ変わり果てた彼女の死体だった。……。 障子はずっと閉められたきりで、誰も出入りしていない。また、裏口からも誰かが出入りした形跡もない。 それでは一体、誰がどうやって彼女を絞殺したのか。 名探偵、明智小五郎登場! この作品により、日本ミステリ界に、また新たな1ページが作られたといっても過言ではない歴史的作品の1つである。 (2006.9.3/菅井ジエラ) 江戸川乱歩(1895-1965) | |
|
| |
|
『伊豆の踊子』(川端康成/大正15年) 主人公の学生は伊豆旅行の最中、踊子の一団と遭遇し旅を共にする。 踊子の一団は一組の夫婦を中心とした一座で、夫婦の亡くなった子供の供養の為に伊豆に訪れていたのだった。 主人公の学生は、踊子の一座を通じて女性の本能を垣間見て困惑しながらも、東京の帰路にたつさい、伊豆という土地にある種の郷愁を抱きながら踊子達との想い出に心が動かされるのだった。 (2003.8.1/A) 川端康成(1899-1972) 略歴の詳細は本誌内企画“川端康成を読む”ページを参照ください。 | |
|
| |
|
『死人の欲望』(片岡鐵兵/大正15年) 朝鮮の京城に転勤でやって来た高田仙吉の元に、一通の手紙が届いた。 それには以下のような内容が認めてあった。 『先日、死んだ妹からあなたはそちらで結婚したかどうかを聞いてほしいと頼まれている。至急返事がほしい』 送り主である多恵子の妹・久美子は、高田が神戸の高商の学生だった頃に許婚者同様だった女性で、高田は二人の家で間借りしていた。 高田はこの手紙に好奇心をあおられ、早速返事を書いた。 “…どうせ誰かと結婚しなくてはならないのですが、まだ幽霊を相手に選ぼうとは夢にも考へて居ないですから” 1週間後、高田は打ち合わせのために大阪の本店に出向かなくてはならなくなった。 そこで、ついでに神戸の多恵子を訪ねようと思った。 そして大阪出張の当日。本社での用件を済ませた高田は、その足で神戸へ。60何年ぶりとかの大雪が降ったその日の夕方、多恵子の家に着いた。 「…ねえ、今夜泊って下さる?妹のために?」 ニッコリと笑いながら聞いてくる多恵子に、黙ってうなずく高田。 こうして高田は、学生時代に過ごした懐かしい家で一夜を過ごすことになったのだが…。 怪奇色を漂わせながら、それでいて気品を失っていない。ミステリ要素も多分にあるが、あくまで一文芸作品として見た方が親しみやすいかもしれない。 (2006.8.25/菅井ジエラ) 片岡鐵兵(1894-1944) | |
|
| |
|
『友田と松永の話』(谷崎潤一郎/大正15年) それは、私が「しげ女」という見知らぬ女性から手紙をもらったのが発端だった。 作家という職業柄、知らない人間からもたくさん手紙をもらう。 普段は、それらの手紙をそのままにして忘れてしまうことも多いのだが、 「しげ女」の手紙は毛筆で書かれてあり、一見して普通の手紙ではないような印象を受けた。 そこで封を開けてみた。ずいぶんと長い手紙だったが、そこには次のような興味深いことが書かれていた。 「しげ女」は明治38年に松永家に嫁入り。当時、夫儀助は25歳、しげ女18歳。 結婚当初は仲むつまじく暮らしていたが、その翌年の明治39年、 「しげ女」が妊娠中の夏に、儀助は何を思ったか「1、2年洋行してくる」と言い、家を出て行った。 その後、儀助より松永家にはまったく音信がなかったが、明治42年の秋に突然海外から帰国。 儀助は海外で健康を害したようで、神経衰弱を患うようになっていた。 だが、45年春までの足かけ4年の間に、徐々に快方に向かった。 そして45年の夏。今度は何の理由もなしに、儀助はまた家を出ると言う。 「しげ女」は娘とともに、留守居を余儀なくされたが、また足かけ4年ぶりに大正4年の秋に儀助は帰ってきた。 そして、また足かけ4年の大正7年の夏。儀助は行方を言わずに出て行ってしまう。 今年は3年目なので、たぶん来年には帰ってくるのだろうが、 昨年冬より娘の体調がすぐれず、何とか夫に帰ってきてほしいというのだった。 では、なぜ私のところに、こうした手紙を送ってきたのか。それはこうした理由からだった。 前回、儀助が帰ってきた時、小さな鞄を手に持っていたが、ある日、しげ女は彼の目を盗んで、その鞄の中身を見たことがあった。 そこには、紫水晶の石をはめた男ものの指輪と、友田と刻された印形、葉書一枚、 そして外国人女性のいかがわしい写真数十枚が入っていたという。 そして、その葉書の差出人が私だったというのだ。 夫は行方をくらましている間に、友田と名乗り生活しているのではないか。だが、指輪の大きさを比べると儀助の指には太すぎる。 ただ、いずれにせよ、儀助は友田と付き合いがあったのではないか。そうして、すがる思いから手紙を寄越したのだった。 私は確かに友田という男を知っていた。2、3日前にも実際に友田に会っていた。 その時、「しげ女」が言う紫水晶の指輪を友田がはめているのを見た。 「しげ女」は、手紙に儀助の写真を同封していた。 私も写真を見るまで、しげ女と同じく「松永儀助=友田」と思っていたが、 写真を見ると二人はまるで別人だった。儀助は病的に痩せている一方、友田は太っている。 二人が同じ人間であろうはずがなかった。 そこで、私は事の真相を突き止めようと思った。……。 一時期、魔窟・上海を根城にし、大震災を境に、横浜などで暗躍する友田。私は事実を見つけだすことができるのか。 大正15年1月〜5月の「主婦の友」に連載された作品。 (2008.2.18/菅井ジエラ) 谷崎潤一郎(1886-1965) | |
|
| |
|
『失はれた書籍』(水守亀之助/大正15年) やっとの思いで長編小説『恋愛行』を書き上げ、その作品を自費出版することになったC君。その日はできあがった本1200部を、Aという製本屋に家まで届けてもらうことになっていたのだが、製本屋からC君の家に不思議な電話がかかってきた。 「車でひいて行かせてからもう四五時間も経つのに使の若者はまだ帰って来ませんが、品物はお届けしたでせうか」 電話はC君の妻が応対していたが、C君が妻からその話を聞くや、電話を代わって製本屋の主人を怒鳴りつけていた。 製本屋からC君の家まではわずか十四五町の距離。4時間も5時間もかかるはずがない。それなのにまだ到着しない。 つまり、できあがったばかりの1200部の本が忽然と消えてしまったのだ。 すぐに詫びにやってきた製本屋の主人がC君に説明するには、ふたりの雇い人が車をひいて出ていったという。だが、そのふたり自体がどこに行ってしまったのか皆目わからない。どこかで怪我をして医者に担ぎ込まれているのか。それなら車があるはずだし、車が見つかれば、本の奥付を見て製本屋になり、著者であるC君の家になりに連絡をしてくれるはず。それが全く何もない。結局、これは車をひいていったふたりが共謀して盗んだのだろうということになった。 しかし、1200部もの本をどうやって金に換えるのか。数が少なければ、古書店などに売り払うことも考えられるが、多くなると、売ってもすぐに足がついてしまう。C君は警察にも応援をお願いし、製本屋の主人にも捜索を命じた。……。 本の行方が一向に分からず、“これは、作家としての能力がまだ不足しているのだと、天が自分を戒めているのかもしれない”と弱音さえ吐くようになるC君。しかし、まだ店頭に並んでいないはずの『恋愛行』を激賞するファンレターがC君の手元に届き…。 着想や途中のストーリー展開は独創的で面白いが、最後が少々尻すぼみで残念。 (2006.8.24/菅井ジエラ) 水守亀之助(1886-1958) 兵庫県出身。雑誌「新潮」の記者を務めていた大正8年、雑誌「早稲田文学」に「小さな菜畑」を発表。注目を集める。代表作に「帰れる父」「闇を歩く」などがある。 | |
|
| |
|
『広告人形』(横溝正史/大正15年) 大海源六は醜悪な顔の三流画家。その醜悪な容貌から人に顔を見られると癲癇を起す特異な体質をもつ。 ところが、仕事柄人間観察が必要なので何とか人ごみの中に入りたいという希望から、大海源六はある考えを思いつく。 着ぐるみの中に入って宣伝を行う広告人形になれば、 誰も自分の醜悪な顔を見ることもないので思いのままに人間観察が出来るというものだった。 大海源六は浦島太郎の人形の中に入って映画会社のチラシを配ることで念願を適えるのだった。 大海が映画のチラシ配りの仕事を始めてしばらくすると、 大海源六が配っていた映画会社のチラシが波紋を呼ぶことになる。 映画のチラシにはタイトルである「俺が犯人だ」という文字が目立つように大きく書かれている。 そのチラシに言いがかりをつけて来た人間が大海源六の前に現れるのだ。 その人間は大海源六と同じように顔も見かけも判別することができなかった。 何故なら、その人物も福助人形の中に入って宣伝の仕事をしていたからだ。 福助人形の男は大海に対して隣町で起きた殺人事件の話をはじめた。その事件の犯人を探すために大海が 「俺が犯人だ」と書かれたチラシを配りながら人々の反応を見ているのだろうと福助人形の男は言う。 一方、大海は反論することもなく相手の出方を伺っていると、福助人形の男は通り過ぎていった女が映画チラシを 見て青ざめた表情をしていると大海源六に言う。その女は大海も知っているスナックに入っていった。 二人はその女が出てくるのを待ち、そして・・・福助人形と女の関係が明らかにされる。 (2006.6.26/A) 横溝正史(1902-1981) | |
|
| |
|
『オツベルと象』(宮沢賢治/大正15年) 宮沢賢治の童話の中でも群を抜いて短い話。 短い時間で童話でしか感じられないものを体験できる作品。 オツベルという稲の脱穀機を扱う男がいた。 村の百姓皆から勤勉さを褒められるほど、一日中休む間もなく脱穀機で仕事をしている。 村の外れの森から白い象がやってくる。 白い象はオツベルの工場の中にあがりこんでぼうっと眺める。 オツベルは勇気をふるって、白い象にゆっくりしていってくれと言う。 白い象は喜んだような反応を示す。 やがて、オツベルは白い象に仕事を手伝ってもらうようになる。 白い象は力持ちだから、何倍もの仕事をすることができた。 味をしめたオツベルは白い象に抱えきれないほどの重労働を強いていくのだった。 仕事の辛さに嘆いた白い象は逃げ出そうとするが、オツベルによって監禁されてしてしまうのだった。 (2006.7.22/A) 宮沢賢治(1896-1933) | |
|
| |
| [ トップページにもどる ] All Rights Reserved Copyright (C) 2003-2008,MUSEION. |
||