P・G・ウッドハウスを読む



「伯爵と父親の責務(Lord Emsworth Acts for the Best)」(1926)


いつも明るいブランディングズ城の女中頭部屋が、執事のビーチが入ってきた途端、ただならぬ雰囲気に一変した。
「いったいどうしたの、ミスター・ビーチ?」
女中頭のミセス・トウェムロウが驚いて尋ねると、どうやら彼にとっては我慢ならない事態が起こったらしい。
「…殿がロンドンからお帰りになりしだい、わたしは辞表を出す。走り使いから始めて今の地位にいたるまで十八年間お屋敷に仕えてきたが、ついに終わりがきたよ」
聞くと、ロード・エムズワースが最近生やし始めたひげが、国中の顰蹙を買い始めているので、辞表を出した後に諫めるというのだ。確かに立派なひげではないと言って女中頭も彼に同意したが、まさかひげごときで話が執事の辞表騒ぎになっているとはロード・エムズワースはつゆほどにも知らなかった。
その頃、当の本人はロンドンの熟年保守倶楽部にいた。次男のフレディから至急会いたいという電報をもらっていたのだ。フレディは8ヶ月前にドナルドソンズ・ドッグ・ビスケットというアメリカの犬用ビスケット会社の社長令嬢と結婚。今頃はアメリカで頑張って働いているとばかり思っていたのに、ロンドンにいるという。しかも電報には困ったことになったとある。ロード・エムズワースはひげを触りながら、フレディに対する不満を募らせていくのだった。
そこへフレディが登場。例のごとく金の問題かとロード・エムズワースは切り出すと、今回はそうでないらしい。フレディは女房の問題だという。
「というと?」
「出ていっちゃったんです」
「なにっ!」
誤解が誤解を生み、その結果、今や彼女はホテル住まい。フレディは賄い付アパートで寂しく暮らしているという。そこで、父親に協力してほしいというのだ。
「…わしに何をしろというのだ?」
「ですから、女房のところに行って拝み倒してくださいよ。ほら、映画であるでしょ、そんな場面。何千回も観てますよ。白髪の年老いた父親が─」
その言葉にロード・エムズワースは頭に血が上ってくる。
「断固断る」
ロード・エムズワースはそう言ってフレディと別れたが、その夜、眠るときになって、ふとフレディの言い残した言葉が気になってしょうがなかった。
“…僕の人生は終わったも同然です。…残り少ない抜け殻の人生を、ぼくはどこか静かなところで過ごします。…”
「静かなところ」というのが、もしブランディングズ城のことだとしたら…。それだけは困る。そこで、次の日の朝、ロード・エムズワースはフレディの女房が滞在するサヴォイ・ホテルに向かったのだが…。

放蕩息子のフレディも、やはりロード・エムズワースの子供。終わりよければすべてよしというべきか。それにしても、フレディの女房であるアギー・ドナルドソンは彼のどこに惹かれたのだろう。

★所収本
・岩永正勝・小山太一編訳/文藝春秋『エムズワース卿の受難録』(伯爵と父親の責務)

                      (2006.2.20/菅井ジエラ)

 

 

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